10月8日(日)、全日本プロレスの福田剛紀社長が、この日すぱーく山辺(山辺町民総合体育館内)で開催された全日本プロレス51周年旗揚げ記念シリーズ山形大会に来られた。




この日は、久しぶりに再会した福田剛紀社長、諏訪間専務(諏訪魔選手)、さらに、全日本プロレスイノベーションの前副会長の増岡厳副会長と、様々な話を夜中までたっぷり語り合う。




2012年頃から、当時、全日本プロレスの社長であった武藤敬司氏が、山形南高校応援団出身の全日本プロレスの高橋英樹取締役と、たびたび山形に来られ、全日本プロレスの窮状を話され、ケーブルテレビとCS放送とのコラボレーションなど、様々な支援要請があった。


しかし、2013年になると、武藤敬司氏は全日本プロレスを脱退し新団体WRESTLE-1を旗揚げするが、高橋英樹氏は全日本プロレスの再建を諦めず、秋山準氏と諏訪魔氏と共に山形拠点の新団体の設立を目指していた。


もともと、全日本プロレスは、ジャイアト馬場さんが創立者であり、著作権等の全ての権利は馬場元子夫人が所有しており、根本的な全日本プロレスの再建は、馬場元子さんなくして不可能であると告げると、彼らは、ハワイで生活されていた馬場元子さんを山形まで連れてこられた。


結局、馬場元子さんは、2度ほど山形に来られ、元子さんも一緒に、新会社、全日本プロレスイノベーションの設立に参加することとなる。





(2014年当時の設立時の写真)


そして、2014年7月1日、全日本プロレスイノベーションが運営するプロレス興行会社、オールジャパン・プロレスリングが設立され、横浜市に拠点を構えて、秋山準社長、諏訪間専務体制がスタートする。


その後、2015年12月に、経営権を含む全株式が、現社長の福田剛紀氏に引き継がれ、現在に至るのである。


紆余曲折を経て、現在の全日本プロレスは、福田社長のもと、昨年は創立50周年興行を日本武道館で大成功させ、今年は新シリーズを展開している。






10月8日(日)は、夜の全日本プロレスの興行を前に、福田社長は、山形ワイヴァンズの試合にも参戦してくださった。


実は、福田剛紀社長は、B3プロバスケットクラブの埼玉ブロンコスの社長でもあり、様々な事業を展開されている。


この日は、ワイヴァンズのTシャツを早々にお買い求めいただき、それを着ての観戦であった。


日本テクトホールディングスの増岡厳社長や、元社員の新井絵里子さんも駆けつけてくれた。








夜は、山辺町民総合体育館内のすぱーく山辺で、全日本プロレス興行が行われた。


山辺町の安達町長も駆けつけてくださり、多くの山辺町民の皆さんが楽しんでおられた。




たまたま会場に来られていた、自分の友人のお子さんを、青柳優馬三冠王者と宮原健斗の世界タッグ王者の2人が記念写真を撮ってくださった。


自分が小学生の時、山形市の霞城公園内の県体育館で開催されていた全日本プロレスへ父から連れて行かれ、ジャイアント馬場さんから握手をしていただいたことを思い出す。




夜、全日本プロレスイノベーションを立ち上げたメンバー達と、山形大会の打ち上げの懇親会。


諏訪魔選手と田村男児選手も、試合が終わった後、駆けつけてくれた。


全日本プロレスの益々のご発展と、福田社長並びに諏訪魔・田村男児両選手のご健勝を、心から祈念いたしたい。


バスケット、プロレスのダブルヘッダー、お疲れ様でした。