今から17年前、自分が45歳の頃。


当時、勢いがあったネットシネマやインディーズムービーを、500円均一で観てもらおうと、自分とライブドアのホリエモンこと堀江貴文氏と、「ファイブコインズシネマ」を展開する。


山形では、当時のセブンプラザにあった「シネマ・イータ」


オープニング作品は、「おまえが嫌いだ」

監督は加納周典さん、主演が松田賢二くんと村井美樹ちゃんだった。




2005年の出来事である。


当時、まだ20代半ばの村井美樹ちゃんと、舞台挨拶の時に、初めて出会ったのである。


その年は、第1回目の山形国際ムービーフェスティバル(YMF2005)が開催された年。


彼女は、そのままYMFのナビゲーターとなって映画祭を盛り上げてくれたのである。




その年のスカラシップには、村井美樹ちゃんが浅野監督と佐藤監督の2作品に出演してくれた。





(当時販売していたCDと、特集された山形新聞)


翌2006年には、東北ケーブルテレビネットワークのイメージ女優として、自らが作詞した「ノスタルジア」をレコーディングし、東北各地のテレビ局やラジオ局をキャンペーンで回ったのである。


東北に、彼女のファンが沢山増えたのであった。






(夕食をご一緒した浜なす分店の秋のデザート)

あれから17年が経つ。

その間、所属事務所も変わり、プライベートでは結婚もし、お子さんもでき、お母さんでもある。


仕事では、「クイズプレゼンバラエティーQさま‼︎」で早稲田大学出身の才女ぶりを発揮、「ローカル路線バスVS鉄道 乗り継ぎ対決旅」では「鬼軍曹」の異名を持つ人気タレントとなっている。




10月4日(水)、17年ぶりにお会いした村井美樹ちゃんは、嘘のようにまったく変わっていなかった。


まるで、あの頃からワープしてきたように…。


不思議と17年間の隔たりを感じずに、半年か1年ぶりくらいの気持ちで話せた。


それだけ、あの頃に一緒に過ごした時間が濃かったんだと思う。




当時の番組「村井美樹スペシャル、この想いあなたに伝えたい…」や、YMF山形国際ムービーフェスティバルの第1回ダイジェスト番組を、当時のケーブルテレビ山形のスタッフ達と視聴する。


これからは、お芝居や映画やドラマもやってみたいと話していた。

また、母として、仕事とプライベートの両立もしっかり考えており、美樹ちゃんらしいと感心する。


最も感激したことは、彼女が「地方創生」をポリシーとし、「地方を元気にしたい!」と熱く語っていたこと。


彼女が大好きな鉄道のローカル線や、地方のお城なども、その想いに繋がっているという。


この日、昔のように、夜中まで様々な話をしたのである。


東北ケーブルテレビネットワークや、YMFやバスケットボールなど、地方を元気にする取り組みに、是非参加していただきたいと思う。


村井美樹物語の第二章は、どんな展開になるのか、是非、期待していただきたい。