東山紀之氏との出会いは、2010年の秋。


山形県で撮影していた映画「小川の辺」の時であった。


当時の東映の村松取締役から、ロケ地山形県のオールメディアの皆さんから、撮影並びにキャンペーンに参加していただけないだろうかとの話があり、各社へご説明に伺った。


「山形初の全メディアで取り組む映画ですね!一緒にやりましょう!」と、皆さんが快諾していただく。


日本でも初めての、キー局の系列ではなく、地域のオールメディアが出資して製作委員会に入ると言う山形方式が生まれたのである。




2010年10月1日、山形グランドホテルにて、藤沢周平原作、篠原哲雄監督作品、映画『小川の辺』の、オール山形記者会見を行ったのである。


山形新聞、山形放送、山形テレビ、テレビユー山形、さくらんぼテレビ、ケーブルテレビ山形(ダイバーシティメディアの前身)、東北ケーブルテレビネットワークの7社が揃う。


今から13年前の出来事であり、映画の県「山形県」が、全国的にも認知され出す。

その後の映画「おしん」も、同様のオール山形メディアの製作委員会が組織された。




山形市の東沢地区の馬見ヶ崎川上流に、ロケセットを作り、山形の深い自然の中で撮影された作品である。


妹の夫である友を、主君が討てと命じられた藩士(東山紀之)が、義と情の狭間で、揺れ動く気持ちを抑えながら、与えられた運命に向き合っていく名作である。





全国公開は2011年の7月2日だったが、山形県は6月18日から先行公開。


その日、ムービーオンやまがたでは、日本初となる同一館での1日20回の舞台挨拶を行った。


シアター1からシアター10まで、全てのシアターにて2回ずつ舞台挨拶を行った。


当然、主役の東山紀之さんや他の役者さんも登壇する。


まだ35ミリのフィルムの時代。

東映からは10本の「小川の辺」のフィルムが届く。


東映、ジャニーズ事務所、小滝プロデューサーのご理解とご支援がなければ、成し得ない大イベントであった。


この日だけで、2000人近い方々が、映画「小川の辺」をご覧になったのである。




初めてお会いした時、自分は50歳、東山さんは43歳だった。

7歳年下ではあったが、聡明で賢く、礼儀正しい方であり、驚いたのを覚えている。



今回、ジャニーズの新社長に就任された東山紀之さん。

「自分の夢をあきらめて、これからの人生を賭けて被害者の皆さんと向き合っていく。」と話されていた。


孔子の言葉であり、武士道へと繋がる思想…

「義を見てせざるは勇なきなり」


目の前に困っている人がいたら、見て見ぬふりをするのではなく、手を差し伸べることのできる人こそが、勇気を持った人であると言う意味であり、日本の武士道で最も大切にされてきた心である。


この勇は、志しに通じる。


覚悟を示された東山紀之さん。


代表取締役社長にとって、最も重要な資質は「情熱」と「覚悟」であると思っている。


社長としてやるべき事は沢山あるだろうが、今回の主たる課題は、「被害者救済と補償」である。

同時に、所属タレントの皆さんを守り、会社を存続する事である。


それを成し得るのは、マスコミやジャーナリストでもなく、ジャニーズ事務所の東山紀之新社長その人なのだ。


最近の一部の報道の中で、やる前から否定する方々の声を聞く。

ルール無用の記者会見も、少年時代の出来事を持ち出し、自分が正義の味方のような振る舞いは、自己アピールにしか聞こえない。


その一つ一つの質問に、東山さんは、誠実に真剣に答えられていた。



2011年春、「小川の辺」の撮影終盤、東日本大震災が起きた。

東山さんは、誰にも内緒で、数人のスタッフと宮城県に入り、その場で、多くの被災者に手づくりのカレーを振る舞っていた。


自分は、まだまだドラマ「刑事7人」も見たかったし、時代劇も見たかった。


そんなファンの気持ちも、全て賭けてスタートした東山新社長。


山形の空からエールを送り、「被害者救済と補償」と会社の再建が、上手く進む事を心より祈りたい。