7月21日(金)、ケーブルテレビ山形の開局時からのメインアナウンサーが古巣に集まり、ダイバーシティメディアで現在放送中の番組などを視聴し、感想を述べ合った。
この企画は、来年の10月で、ダイバーシティメディア(旧ケーブルテレビ山形)が開局30周年を迎えるにあたり、ケーブルテレビ山形のレゾンデートルである「スタジオは私たちの街、主役はあなた」という概念や、「小さいけれど、されど尊い物語」を探し見つけて市民の皆さんにお届けするというコンセプトを、設立当初からのメンバーから再確認してもらおうというものであった。
初代アナウンサーの鈴木まり子(現在は中谷まり子)さん、井上知早子(現在は高田知早子)さん、佐藤友美さんの3名の伝説のアナウンサー達に加えて、現在のメインアナウンサー兼チーフディレクターの鈴木淳予さん、さらには定永洋一制作局長が参加する。
東日本大震災から毎年続けて取材している「to Revive〜あの日から今日まで」「又吉・せきしろのなにもしない散歩」「コミュニティーアイ・53年分のありがとう…つり味」の各番組を視聴してもらう。
そこに居合わせた3名のアナウンサーとスタッフ達は、涙を流しながら番組に見入り、各々の感想を述べていた。
自分の番組を見てもらったディレクターの鈴木淳予さんも、涙が止まらなかった。
まさに、ケーブルテレビ山形時代の番組づくりは、世界中で最も尊く気高く、知性と感性が溢れる泉の様な空間であったと思い出す。
風の通り道を見つけ、聴こえない音に耳を澄ます。
そんな日々の連続は、皆の感性を研ぎ澄ませていったのだ。
その後、この日会社にいた、当時の仲間たちが集まる。
桜井朋花局長、須貝優子副局長、荒井朋美副局長。
さらには佐藤則子局長も顔を出す。
ここでのディナーは、全員が初めてとのことで、大絶賛していた。
最初は、現在の近況や家族や子どもたちの話。
そして次第に、当時のエピソードや、失敗談などで盛り上がる。
もともと、ケーブルテレビ山形開局からの約40人のアナウンサーの中で、最も制作愛を持つ伝説の4人。
何故なら、彼女らはアナウンサーだけではなく、ディレクターとしても、番組づくりの名人だからこそレジェンドと言われるのである。
相変わらずの熱量も素晴らしい!
自分からは、是非、子育てが終わった今、番組づくりに復帰して欲しいと依頼する。
二次会は、「チャーリーブラウン」へ。
当時は同僚として、一緒に仕事をしていた、今はフリーの小林利尚君も駆けつけてくれた。
コロナ禍で学んだこと。
「会いたい人には、会える時に会う」
「やりたいことは後に回さず、思い立った時にやる」
だから、この日、東京と岩手から、皆が集まってくれたのだ。
正直、自分自身、彼女たちから、何年分ものエネルギーをもらったのである。
また、番組でも映画でも、作れたら幸せである。
「日常からの覚醒」当時のもう一つのスローガン。
…今日とは違う世界がある…