5月末日をもって、山形ワイヴァンズをヘッドコーチとして3年間率いてくれた、ミオドラグ・ライコビッチが退団する。


彼が就任したのは2020年9月。

前年、B2東地区の最下位だったワイヴァンズの建て直しにヘッドコーチに就任していただく。


その後の3年間は、熱く激しいリーダーとして、また、システムにこだわるインテリジェンスとして、チームを率いてくれたのである。




既にご本人は、5月4日の退団のリリースの日に、セルビアに旅立っておられる。


その2日前、夜中まで、ライコビッチと話をした。


この3年間、ライコビッチの要望で、定期的にフロントメンバーとミーティングをしてきたが、いつも山形グランドホテルの1階の一室で、食事をしながら、ある時は激論を交わしながらコミュニケーションをとってきた。




この夜は、最後のディナー。


ライコビッチからは、改めて、バスケットボールの面白さや楽しさを教えてもらった。


また、セルビアのチェスのチャンピオンであるお父さんの影響は、とても強いと感じた。

いつも、完璧を目指して妥協しない。

お姉さんは日本語の先生で、家族は皆さん優秀である。


奥さんのミリツァとひとり娘のペトラは、毎年必ず来日し、蔵王でのスキーや温泉などを楽しみ、3年間で山形の大ファンとなったのである。




今年の2月7日、ワイヴァンズのスポンサーの「べろきん」にて、ライコビッチファミリーと焼肉を食べる。


今回が、最後の食事会になるかもしれないと、ペトラから、セルビアのベオグラードの写真集をプレゼントされた。


「いつか、ペトラが日本に留学した時は、是非、山形に遊びに来て!」と話す。




2020年8月、ライコビッチと初めてリモートで話をした。

セルビアと山形間で、3、4回話をする。


前年の西宮ストークスを率いたライコビッチは、チームバスケットに徹し、シーズン後半は7割近い勝率を納めていた。


二転三転し、なかなか決まらなかったヘッドコーチを、ライコビッチに依頼する。




彼が、山形に着いたのが2020年の8月29日であった。


アシスタントコーチに決まった小関ライアンと、イタリアンレストラン「ボーノ」にて、一緒に食事をする。




そして、このシーズンは、山形ワイヴァンズはBリーグが始まり初めてプレーオフに出場したのであった。


セルビアと日本の文化の狭間で苦しみながらも、一生懸命に日本の文化や慣習を受け入れていったライコビッチ。


遠い異国の地から、日本の東北の山形まで来てくれたご縁は、やはり天の配剤だと思っている。




最後の夜、ひょっとしたら、今シーズンは対戦相手のチームの指揮を取るかもしれないね!…などと、笑いながら話をした。


世界中、どこにいようが、また熱く激しい姿を見せてほしい!


テクニカルファウルには、くれぐれも注意してだが…。