12月28日(水)木村莞爾先生が、来宅された。


父が亡くなって約20年になるが、毎年、お盆と年末にお参りに来てくださる。


この日は、たまたま自分が自宅におり、久しぶりにゆっくりとお話しすることができたのである。


約10歳違う父と木村莞爾先生は、まさに義兄弟のような関係で、「よっちゃん!」「かんちゃん!」とお互いを読んでいた。


自分が木村莞爾先生を知ったのは、山形市立第四小学校の6年生の時に、山形県議会見学に議事堂(現文翔館)を訪れた際、当時39歳の父から、まだ20代の木村莞爾さんを紹介されたのである。


2人とも、県議会議員に初当選した直後であったと記憶している。




木村先生からは、当時の二人の若き県議会議員の武勇伝を聴かされ、いつも政治の浪漫を感じさせてもらっている。


木村莞爾という天性の弁士の才を持つ方のお話だけに、これが実に面白い。


今回は、そこから話が展開し、田中角栄政権の生みの親の木村武雄元帥の話題になる。


木村莞爾先生の父である。



今年は、日中国交50周年。


1972年9月25日、中国へ渡った当時の田中角栄総理大臣と大平正芳外務大臣は、中華民国の周恩来国務院総理と姫鵬飛外交部長と、国交回復、国交正常化に向けて、何度も会談を繰り返す。


その成果は、同年9月29日、人民大会堂での共同声明によって結実したのである。


今年、林芳正外務大臣は、「大変厳しい国内外の情勢の中、深い戦略的思考と政治的勇気をもって、困難な交渉をまとめ上げ、日中両国は国交正常化を実現した。」と述べた。




この日は、そんな日中国交回復の真の裏舞台を、木村先生からお聞きしたのである。


元帥と言われた木村武雄先生と廖承志中日友好協会会長との親交や、石原莞爾先生の政治思想と信条。


そして、2冊の本を紹介された。

「日中友好侵略史」と「木村武雄の日中国交正常化」である。


前者は書店で買い求め、後者は木村莞爾先生よりいただく。


第二次世界大戦と敗戦という未曾有の体験をし、世界的に孤立した日本。


周囲の国々との「仲直り」というべき作業を、困難な中でやり抜いた政治家の先達たち。


改めて、歴史の大切さを教わった気がした。


そして、改めて、石原莞爾という山形県出身の大傑物を知りたいという気持ちになる。


80歳になったと仰る木村莞爾先生。

まだまだ、お元気でお過ごしいただきたいと思うのであった。