感慨無量であった。


9月18日(日)、全日本プロレスが、長い間遠ざかっていた日本武道館にて、『全日本プロレス50周年記念大会』を開催することができたのである。


福田剛紀社長、諏訪間専務や選手たち、大城営業部長はじめフロントが、積み上げて来られた惜しみない努力の賜物であると思う。




自分の山形南高校の応援団の1年下の後輩に、高橋英樹という人物がいる。


漢気があり、情に厚く、格闘技が大好きで、若い頃から空手をしていた。


その彼が、ある時期から、プロレスラーの大仁田淳さんとFMWを設立し運営していた。


その後、全日本プロレスに移り、ダイバーシティメディアの前身であるケーブルテレビ山形へ、興行の宣伝に来ていたのだ。


市民チャンネルでCM告知したり、チケットのお付き合いをする内に、当時の全日本プロレスの武藤敬司会長と2、3度食事をするようになった。


ある時、武藤会長より、「全日本プロレスに力を貸してほしい!」と依頼される。


その後、武藤会長は全日本プロレスを辞めて、WRESTLE-1を旗揚げする。


しばらくして、高橋英樹氏は、今度は諏訪魔と秋山潤の両氏を連れて山形に来られ、新たなプロレス団体の在り方を模索し出す。


当時は、新しいプロレスブームが巻き起こり、若い女性のファンも急増していた。


ケーブルテレビ山形のコンテンツとしても、とても興味があり、「全日本プロレス見るならケーブルテレビ!」というところまで押し上げられればと、新たなビジネスモデルを検討し出す。


しばらくすると、今度は、ジャイアント馬場さんの奥様である馬場元子さんが、ハワイから2回も山形まで来られ、「自分にとっても最後の仕事。是非、全日本プロレスを立て直してほしい。」と、魂のこもったお話をされた。


その言葉に動かされ、2014年7月に新団体を設立し、2016年5月までの約2年間、山形本社・横浜本店という体制で、全日本プロレスの運営会社であるオールジャパンプロレスリングを経営させていただいたのである。




その後は、現社長である福田剛紀氏が、全日本プロレスの経営を継承され、新たなチャレンジを多方面で展開しているのだ。





50周年記念大会の日、武道館前に飾られた花々。


真ん中の1番目だつところに、自分の贈った花を飾ってくださっていた。




福田社長とは、プロレスのご縁に留まらず、プロバスケットクラブの運営や、映画製作への参加など、同じ領域で活動している。


それだけに、とても良いお付き合いをさせていただいている。


今回、最も嬉しかったのは、BS日テレのゴールデンタイムに、この全日本プロレス記念大会が放送されたこと。


あの全日本プロレスのテーマ曲が、全国に流れたのである。


自分が経営していた頃は、何度も、日テレや他の民放にも働きかけたが、なかなか良い返事をいただけなかったのが、悔しい思い出である。


しかし、それを成し遂げた福田社長は、流石である。




今大会のメインイベントは、諏訪魔と宮原健斗の三冠ヘビー級タイトルマッチ。


自分はテレビで観ていたが、お客さんも喜び、とても盛り上がっていた。


諏訪間専務は、プロレスは怖いくらい強いが、リングを下りれば、とても誠実で、義理人情の熱血漢である。


これからも、プロレス界を牽引していってほしい。




今回のゲストの中には、自分と全日本プロレスを引き合わせてくれた、武藤敬司氏もいらっしゃった。


しばらくぶりにお会いしたいなぁと、懐かしく思ったのである。

和田レフェリーや渕選手なども懐かしい。


そして、いつまでも、お元気でいてほしい。


全日本プロレスの益々のご隆盛と、福田社長の更なるご健勝を、衷心よりお祈り申し上げます。