5月30日(月)、老舗料亭「亀松閣」にて、高木酒造の高木顕統社長を囲み、日頃からの感謝の会を開催する。




高木社長からは、17年前の第1回山形国際ムービーフェスティバル(YMF)から今日に至るまで、幻の酒と呼ばれていた「十四代」を、副賞としてご協賛いただいている。


ずっと、ご一緒させていただき、感謝と御礼を申し上げる機会を図っていたが、やっとこの度、その念願が叶ったのである。





また、高木社長からは、今年の5月5日、息子夫妻の結婚披露宴を挙げた際に、600人分の乾杯酒をご準備いただいた。


当日まで「十四代」としか聞いていなかったが、貴重酒である「十四代 七垂二十貫」の火を通していない生酒を、90本ご準備いただき、会場がざわついたのであった。


その御礼もしたく、息子であるダイバーシティメディアの和康常務も同席し、感謝の言葉を述べた。




この日は、高木社長とも親交があるダイバーシティメディアの渡辺聡常務と、義理の兄が高木社長と仲が良かったパスラボの武田宣行常務が同席する。


この日、高木社長が乾杯酒として持ってきてくれたのは、十四代の「龍月」の生酒である。


菊地保寿堂の「まゆ」を、ギンギンに冷やして、それに入れて注ぐのだ。


なかなか味わえない酒なので、皆、とても感激していた。




その後も、高木社長から、また違う「十四代」を賜ったのである。



そもそも、高木社長の父辰五郎氏は、県議会議員を務め、その後村山市長選挙へ挑戦された。

自分の父も、県議会議員から山形市長選挙に立候補した。

辰五郎氏は、山形南高校時代は父の後輩であり、長年のお付き合いをさせていただく。


そんなご縁もあり、息子の代になっても、お付き合いさせていただいているのだ。




2015年の10月1日、パレスグランデールで、高木酒造の創業400周年記念謝恩祝賀会が開催された時も、ご招待を賜ったのである。


入り口には、江戸時代に戸沢藩主にお会いする時に着た「かみしも」である。

当時の高木家の婚礼の品々も飾られていた。


とても歴史を感じたのである。




今から7年前の当時、会場で準備された「十四代」の品揃えは素晴らしく、圧巻であった。




また、当日の記念品は、祝辞を述べられた、人間国宝 十四代 今泉今右衛門氏作の「盃」である。


400周年記念の「白雲去来」と「鬼兜」は、大きな話題となったのである。




高木酒造の「十四代の誕生物語」はもとより、多くの奇跡の物語が生まれている。

きっといつか、伝説になるであろう。


その、「改革者・イノベーター」であり「語り部・ストーリーテーラー」は、高木顕統氏本人なのである。


歴史をとても大切にし、微に入り細に穿つ方であり、未来を思考する酒造界のカリスマなのである。


不易と流行の中で、その年の「旬」にこだわり、自分の蔵の酒をこよなく愛する高木社長は、この日、以前にもまして、とても大きな存在になったと感じた夜であった。


高木酒造の益々の発展と、高木顕統社長のご健勝を、心よりご祈念申し上げたい。