昨年末、ライコビッチの奥様ミリツァと娘のペトラが、セルビアから入国した。


成田空港でのPCR検査の結果、2人とも陰性の診断結果を受け、問題なく山形入りした。


当日は、徳竹アシスタントGMが、空港に車で迎えに行き、交通機関を使わず、山形まで乗せてきたのである。


当日、ワイヴァンズはアウェー戦で熊本遠征であり、ライコビッチにとっては、山形に戻り半年ぶりの家族との再会の予定であった。


ところが、同じ飛行機に乗り合わせた乗客から、オミクロン株のコロナ感染者が出たという情報がフロントに入ってくる。


彼女らが、山形の自宅に着いた翌日のことである。


その結果、奥様と娘さんは、政府の「同じ飛行機の場合は全員隔離待機」というレギュレーションを受け、濃厚接触者とされ、自宅に2週間の隔離待機となったのだ。


ライコビッチは自宅に戻れず、熊本から、山形のホテルに直行したのである。


その2日後、政府はオミクロン株のレギュレーションを変更する。

「同じ飛行機に乗っていたとしても、2列以上離れていたら隔離待機をしなくても良い」となったのである。


ミリツァ達の場合は、飛行機はガラガラで、他の乗客とは、客室とフロアも違っていたので、当局へ問い合わせをしたが、2日前の時点でのレギュレーションに従っての決定は覆らないとのことだった。


そこから、ミリツァとペトラは、異国の山形で、2週間の隔離待機となってしまったのである。

当然、ライコビッチとも会えなかったのである。




2週間の隔離待機の間に、3回のPCR検査を行ったが、全て陰性であった。


そして、1月8日(土)に、2週間の隔離待機期間が明けて、やっと自由な身となったのである。

ライコビッチとの感動の再会は言うまでもない。


そんな、大変な思いをしたライコビッチ家族と、同じく2週間の隔離待機をしてくれた徳竹アシスタントGMの苦労を労う懇親会を、1月13日(木)に、参加者全員が抗原検査をした上で、焼肉「山牛」で行ったのである。




「辛い思いをされましたね。大変でした。」と話すと、「今のコロナ禍では、いろんなトラブルがあると思っています。大丈夫です。」と、笑顔で答えてくれた。


せっかくの山形の冬を満喫して欲しかったが、ずっと自宅に隔離待機。

数日前に、ライコビッチがやっと時間ができたので、蔵王に日帰りで行ってきたとのこと。


もうすぐ、ペトラの学校が始まるので、またセルビアに帰らなければならないのだ。




この日、ペトラにプレゼントを贈ったら、お返しに折り紙の鶴を貰った。


折ってきてくれたそうだ。


そんな古くからの日本文化を、彼女が理解して折ってくれたことが、とても嬉しく思ったのである。


日本にいる間、ライコビッチが心を通わせる、家族の団欒を、たっぷり味わって欲しいと思うのであった。