先日、天童の「きものの野口」などの多くの企業を創業された野口勲さんと、郷土料理の「あげつま」にて夕食をご一緒させていただいた。

野口家と吉村家の間には、父の代より多くのご縁があり、野口勲さんの兄であり野口商事の会長であった野口直吉氏の葬儀の時は、自分が葬儀委員長を務めさせていただいたのである。

直吉氏の長男の勝彦氏は、自分の親友であり、山形南高校剣道部で共に剣を交えた。
野口直吉氏は、自分の剣道の師でもあったのである。
また、勝彦氏からは、ケーブルテレビ山形の設立から力を借り、現在ダイバーシティメディアの取締役である。

そもそもは、野口家の流れを汲む鉄砲町のクリーニング店「ほていや」さんの伯母さんが、父と母の仲人であったのである。



今回の夕食会は、自分が勲さんをお誘いした。

今年の8月14日に奥様が満86歳でご逝去され、だいぶ落ち込まれていたのだ。

その時、落ち着いたら食事にでも行きましょうとお誘い申し上げ、この日の激励会の意味も込めた夕食会となったのである。



若い時から、豪放磊落の怖いもの知らずと恐れられた方で、カリスマ的存在であった。

一方で、家族にも仲間にも深い愛情を持たれ、外敵には徹底的に戦われてきた。

石原慎太郎元東京都知事とも気脈を通じ、生涯の友であられる。



野口勲さんの携帯電話の待ち受け画面は、素敵な奥様の写真であり、元気な頃の奥様の姿を自分達に見せては、昔を懐かしんでいられた。

終始、会話も穏やかで、優しい時間が流れる。

激励会というより、奥様を偲ぶ会のようであった。



2019年9月29日、ベル・ブランシェ天童で開催された、野口勲さんの誕生日会。

そこには、元気な奥様の姿が家族の皆さんとあった。

あれから2年が経つ。

この夜、野口さんのお話を聞くなかで、奥様をとても大切にされていたんだなぁと、改めて強く思った。

野口勲さんにおかれては、健康に留意され、まだまだ元気に過ごされてほしい。

人生100歳まで生き抜いて、沢山の土産話を天国に運んでほしいと思うのである。