昨日の5月9日(日)をもって、パスラボ山形ワイヴァンズの2020-21シーズンが終了した。

昨シーズンは、コロナ禍によって、13試合を残しての突然のシーズン終了。

今シーズンも、コロナ禍の中での開幕だったので、最後まで走れるかが疑問であり不安であった。

結局、B2全16チームで、全60試合を完遂できたのは、山形ワイヴァンズと熊本ヴォルターズの2チームだけであった。

これは、試合の勝負とは別に、とても意義があったことだと思っている。



振り返ってみると、山形ワイヴァンズにとって、今シーズンも、どん底の最下位からのスタートであった。

ヘッドコーチのライコビッチも入国が出来ずに出遅れ、外国籍の2選手(キースとランス)も開幕には間に合わなかった。

日本にいる外国籍選手2名を暫定契約をして、開幕を迎えたのである。

開幕6連敗の裏事情の最たるものである。
あれ程、昨シーズンも、外国籍選手の怪我や病気により苦労したが、今年も同じような状況に陥ったのである。

しかし、たまたま、大阪でプレーをしていたスクーティーこと、アンドリュー・ランダルが入団して、他の2選手も合流したとたん、勝利しだしたのである。

ライコビッチのバスケット哲学と戦略が、チームに浸透し出したのもこの時期である。

今年になってからは、群馬に次いで7割の勝率と上り調子であったが、思わぬ困難が待ち構えていた。

3月14日の越谷戦の翌週の3月17日に、突然、選手1人が高熱を出し、3月18日にコロナに感染したのが判明する。

(3月15日にはリーグの統一PCR検査があり、越谷と山形両チームとも全員陰性だったので、バスケットの試合会場で感染したのではなく、その後の市街地感染と推察される)

3月16日から18日までの練習中、マスクをつけない練習の為、他のメンバーやチームスタッフ、そして、その家族にも感染していく。

クラスターと認定され、合計14人もの感染者を出してしまったのである。

隔離待機という、プロバスケット選手としては最悪の状況になってしまい、シーズン終盤の試合戦略は崩れていく。



フロントスタッフが右往左往する中、ライコビッチは意外にも穏やかであった。

試合中は、あれだけ感情を表に出すライコビッチだったが、泰然自若であり、全ての経緯を理解し、選手やスタッフの回復を願い、最も冷静なミーティングであったことを記憶している。

その時、この人に託して間違いなかったと確信したのである。





復帰試合の仙台89ERS戦は2連敗。

茨城ロボッツからも2連敗。


しかし、レギュラーシーズン最終戦までは、7勝6敗と勝ち越したのである。

ライコビッチも凄いが、選手たちも、よくあのコロナ感染から立ち直ったと思う。

コロナ感染でテレビや新聞などのマスコミでも取り上げられ、精神的にも肉体的にも、かなりのダメージがあったはずである。

自分たちフロントですら、「しばらくは来ないで!」「感染らない?」などと敬遠されがちな社会状況の中、選手の家族達は、いかばかりの苦難だったろう。

当時、選手もチームスタッフも、コロナに感染したくて感染したわけではないはずなのに、他の人に感染させてしまった罪悪感もたり、それとも戦っていたのである。



それらの苦しさを、少しずつ払拭できたのは、間違いなくブースターやファンの応援であった。

ホーム復帰戦では、「おかえり!」「待っていたよ!」「大好き」とのメッセージを掲げて、まだフラフラな選手たちを応援してくれた。

皆んな、感謝しかなかった。

その思いに応えようと、選手、チームスタッフ、フロント関係者、全員がそう思い、心に誓ったのである。

フラフラでも、シーズン最後まで、最終戦まで、全身全霊をかけて戦う。



自分は、今回のB2プレーオフ出場は、山形ワイヴァンズにとって、この2年間、必死に戦って来たことに対する、バスケットの神様のご褒美かもしれない…そう思っている。


頑張れば報われる。

諦めなかったら、夢は失くならない。


そして、夢の先には、きっと夢の続きが待っている。


この山形ワイヴァンズの、叙事詩的な物語の一幕が、昨日で完結した。


しかし、ここで終わす訳にはいかない。


これまで以上に、紫の龍が、大きなうねりを作り、空高く飛び立つように、ブースターの皆さん、スポンサーの皆さん、関係者の皆さんから、力を貸していただきたいと思うのである。


これまで、ありがとうございました🐉