2012年当時、山形県には、まだプロバスケットボールチームが存在していなかった。

当時、バスケットボール界は、NBLとbjの2つのリーグが存在していた。

山形にプロバスケットボールの種を蒔いてくれたのが、当時のNBL専務理事の山谷拓志氏と栃木ブレックスの鎌田社長である。



当時、自分も含めて山形県のバスケットボール協会関係者は、bjリーグに加盟する方向であったが、お2人の熱い情熱と将来像の論理的なプレゼンテーションが、それを覆し、NBL傘下のNBDLリーグに加盟する方向になったのである。

その後、どのようにプロバスケットクラブを運営するかというノウハウも、当時の山谷専務理事から教えていただいたのを覚えている。



当時の報道関係者に対しての記者会見の様子である。

栃木ブレックスの傘下の栃木Dライズを、山形のパスラボが買収する。
合わせて、栃木Dライズの金澤ヘッドコーチと選手達を移籍させ、2013年10月からのNBDLのシーズンに参戦する。

ここまでの経緯と、NBDLへの加盟を、山谷専務理事と栃木ブレックスの鎌田社長同席のもと発表したのである。

この時、全てを取り仕切ったのが、NBLの山谷専務理事であった。


あの日があったから、現在があるのだ。
心から、お二人には感謝申し上げたい。



それ以来、業界の先達でもあるが、人生の中での友人的存在にもなったのである。

今のブレックスの基礎を作ったのは彼であり、とにかく気が合ったのである。


実はこの数年の中で、自分にとっての同じような友人が、プロバスケットボール界に生まれている。

その筆頭は、前チェアマンの大河正明氏。
自分の1学年先輩で、1958年生まれで、彼の大局観心と本質を把握する価値観、さらには全体最適の判断は、とてもリスペクトしている。

さらに現チェアマンで、日大山形出身の島田慎二氏。
アグレッシブで、ブランド価値の創造などには一流のセンスがある。

島田氏も山谷氏も、1950年生まれで、自分の10歳年下である。

福島の宮田社長などの、東北の各クラブの歴代社長達も、人生の友人と思っている。

ともに、東日本大震災後の苦しい中で、Bリーグを作ってきた仲間たちである。



この日は、山形ワイヴァンズと茨城ロボッツの試合があるので、前日にPCR検査の陰性診断を経て、山谷社長とのランチミーティングを行ったのだ。

本当は、試合後の夜の懇親会をイメージしてのPCR検査であったが、山形県独自の緊急事態宣言が発出されているので、昼食に変更してそば処庄司屋七日町御殿堰店での、そばランチミーティングとなったのである。

様々なことを話し、改めてコロナ明けに懇親会をする事にした。



山谷社長から、お土産に、水戸のコーヒーをいただく。

ロボッツのコーヒーも入っていて、さすがのコラボレーションだなと感心した。



山谷社長のバイタリティーと、義理と人情の男気に、改めて魅力を感じたひと時となったのである。