11月27日(金)の夕方、ペペルモコのベティちゃんが電話をくれた。

昨日の11月27日(木)の午前6時20分、チャーリー多勢・マー坊こと多勢正隆氏が、亡くなったとのこと。

近年、身体を壊していたので心配はしていたが、まさかの訃報であった。

70歳であった。



翌日の11月28日(土)午後0時30分より、火葬とのことで、予定をキャンセルして最期の挨拶にむかう。

斎場には、よく小さい頃ムービーオンに一緒に連れてきていた息子さんと奥さんがおり、お悔やみを申し上げる。

ベティちゃん、テンプスの石澤くんもおり、ご挨拶をする。

多勢社長は、お洒落で粋な黒い帽子を被り、少し痩せて棺の中に眠っていた。

何度も彼のギターと彼の歌を聞き、いろんな話をした日々が、走馬灯のように駆け巡った。

そして、いつも多勢社長が歌っていた「青い瞳のステラ」が、頭の中でリフレインしている。



多勢社長との出会いは、約20年前。

友人から連れられて、何気なく入ったのが「ヒットパレード」だった。

山形の街の真ん中のビルの中に、こんな素敵な空間があるんだと感じた。


いろんな話を教えてくれた。

ロカビリーバンドのガリバーズのボーカルをやっていたこと。

1990年にオープンした「ヒットパレード」は、毎日お客さんで溢れていて、伝説のライブハウスだったこと。

テレビで、ヒットパレードの番組の放送していたこと。

ずっと「ケントス」のような店にしたいと願っていたこと。



上田正樹さんのライブや宇崎竜童さんのライブも、ヒットパレードで開催した。

その後、自分と上田正樹さんとは夜中まで語り合い、とても仲良くなり、当時のケーブルテレビ山形で一緒に番組を作ったり、YMFのエンディングでスペシャルライブを開催したりさせていただく。

多勢社長、ベティ中島、タツヤの3人からも、「ラブ&ピースハウス」という番組に出演いただいたこともある。



この写真は、10年前の2010年2月6日(土)、岩手ケーブルテレビジョンのメンバーと、ヒットパレードに伺った時のものである。

最後は、みんなでツイストで踊る。



この写真は2014年5月10日(土)、ヒットパレードの店を閉め、ベティちゃんのペペルモコで活動していた多勢社長。

最後は必ず、「専務、矢沢永吉のアイラブユーOK歌って!」と、演奏を始められて促されるのであった。

多勢社長は、ずっと自分を、出会った頃の「専務」と呼んでくれていた。



ペペルモコの2014年サマーライブ。

ジョージも来て、多勢社長とベティちゃんと、久しぶりのコラボレーション。

この時が、一緒に音楽を奏でた最後の思い出である。



2017年3月末に多勢社長が脳溢血になったと、やはりベティちゃんより電話で聞いた。

今年になってからは、がんや脳梗塞で、身体が衰弱していったそうである。


思い返せば、忘れられないシーンがある。
ステージに立つ多勢社長の、本番スタートの仕草と目線である。

そのステージングは、まさにプロであり、誇り高きミュージシャンの姿があった。

天国でも、きっと先に逝ったガリバーズの仲間たちと歌うに違いない。

地上にも届くように、おもいっきり歌って欲しい。
できれば、「青い瞳のステラ」を。

心より多勢社長のご冥福を、お祈り致します。

合掌。