創業135年続いた老舗漬物店「丸八やたら漬」が、5月末日に店を閉じる。

新関芳則社長からは、ダイバーシティメディアの設立当時からお世話になり、番組にも何度もご出演いただき、YMF山形国際ムービーフェスティバルでも、ゲストや関係者の懇親の場として活用させていただいた。



5月25日(月)、関係グループ各社の役員メンバーで「丸八やたら漬」と「香味庵まるはち」へ伺ったのである。



城下町の名残りの蔵と木造の店構え、手触りが滑らかな漆喰の白壁など、そこに入ればタイムスリップをするような歴史と伝統、山形の風土を感じる。



社長の新関芳則さんとは、幾重にも重なるご縁がある。

芳則さんご夫妻の仲人が、自分の両親であり、父が健在であった頃は、両親が仲人をした100組のご夫妻家族(ハートの会)と、毎年、七日町ワシントンホテルのガスライトでクリスマスパーティーを開催していた。
自分も妻子と参加していたが、その中心で取りまとめをされていたのが新関芳則さんである。

義に熱く、いつも街のこと、未来のことを考えておられた芳則さんは、いつも笑顔で明るく、何をしても輝いていた。

山形商工会議所青年部の時代に、「日本一の芋煮会」を企画し実現した立役者でもある。

また、若い頃から、相手への心遣いや、節度ある言動を守られており、心より尊敬でき、多くを学ばせていただいた。



店の中には、昔の看板や生活用品などが、ところ狭しと並んでいる。

それが、昭和初期の暮らしの名残りを感じて、非日常の空間へと誘う。



山形出身の伴淳三郎さん主演の映画「顔役」

丸八やたら漬、山形駅、大沼、七日町通り、第一小学校などがロケ場所となり、その時の写真や、当時の全国博覧会のポスターなどが飾られている。



「香味庵まるはち」は、まさに文化財。
その中で食事が取れる贅沢は、東京からのゲストには大好評であった。



この日、まさに「香味庵まるはち」での、最後となる晩餐である。



自分からは、「丸八やたら漬」と「香味庵まるはち」との関わりの歴史を話し、感謝を込めて、最後にこの空間を感じようと話す。



「香味庵まるはち」には、行定勲監督はじめ多くの映画監督や役者の方々、ホリエモン堀江貴文社長やIT関係者など、実に多くの皆さんと伺った。

その思い出を語り合う。

また、前日まで開催した、ドライブインシアターの反省点や改善点も話し合う。



名物の「漬物寿司」は、多くのファンに愛された品である。


1885年(明治18年3月)
丸八 新関平七商店として味噌・醤油醸造業を始める
漬物加工業を併業

1925年(大正14年)
昭和天皇(東宮様としてご来県)やたら漬けをお買い上げ
「やたら漬」を商標登録し、山形名産となる

1992年(平成4年)
お食事処 香味庵を開店
〜この年は、ダイバーシティメディアの前身であるケーブルテレビ山形を設立した年。

山形新幹線開通や東北芸術工科大学開校も、この年であり、山形県の新しいページを開けた年と位置づけられた。

2007年(平成19年)
丸八本店店舗 国の登録有形文化財に登録される。



食事をする前、全員が30分前に集合して、「丸八やたら漬」で買い物をする。

自分も思わず5000円分の漬物を購入した。



残り3日間で閉店となる「丸八やたら漬」

不易と流行…変わらないもの、変わっていくもの。

しかし、不易と流行の基はひとつである。
時代の要請や選択なのであろう。

そして、最後は、人間の決断である。

様々な思いが去来する中、新関芳則社長は決断をされた。
そこには、過去をリスペクトしながらも、未来への責任を優先したと感じた。

万感の思いを込めて、心から感謝と御礼を申し上げたい。