新庄市の山科氏から、リレーのバトンが渡ってきた。

Facebookで、幼き頃の写真を披露した人からバトンが渡されると、自分も幼き頃の写真をアップしなければならないとのこと。

#ステイホーム…家にある時間が長いから、自分の幼い頃の写真を探す縛りをかけて、楽しむのが目的なんだろう。

運動シーンを動画でアップしたり、作ったマイ料理をアップしたり、お気に入りの本を紹介したり、様々なリレーがあるようで、これも新しいカルチャーになるのかなぁ…と思ったりする。



自分の1歳頃の写真かな…。

場所は東京都世田谷区三軒茶屋の公園。
父は当時、衆議院議員の秘書で勤務先は永田町。
母は、自分を2歳から三軒茶屋幼稚園に特別に入れてもらった…というか、3歳児の年少さんに混ぜてもらったのであろう。

お陰様で、コミュニケーション能力は、人より早く開発されたようだ。



一緒に出てきた写真。
母静子23歳の時…文金高島田で嫁入り。



母の兄弟は5人。
左から、末っ子三男の文彦、長男の慎一、次男の宏、次女の泰子。
母は長女であり、嫁ぐ前に皆んなで撮影した写真らしい。

末っ子である文彦叔父は、とても明るくユーモアがあり、グループサウンズのメンバーだった。

次男の宏叔父は、宮城県女川町の出島の木村商店を継ぎ、一族の要として生きた…最もお世話になった叔父である。

次女の泰子叔母は、とても母と仲が良かったが、病気療養で仙台市へ移り住んだ。

母と一緒に、今も健在で元気におられるのが、長男の慎一叔父…今でも、よく海の幸を送ってくださる。

3人は他界されたが、素晴らしい方々ばかりであり、心の中で永遠に生き続けている。



そして、父と母が、東京から山形市の緑町二丁目に引っ越し、自分を含めて借家住まいがスタートしたのが、父32歳、母28歳の時である。

自分が2歳の時、脊髄膜炎になり東大病院に入院したらしい。
退院後、少しでも空気の良いところへと、両親が父の故郷山形市への移転を決めたという。

そこから、父は、政治家へなろうと立志し、山形市へ腰を据えた。



先の写真から、約40年後。
山形市長の時の父の写真である。


自分の好きな番組、NHKのファミリーヒストリーではないが、やはり、人に歴史あり、人に先祖あり、命の継承を感じる。

ステイホームのリレーのバトンが、そんなことまで、想いを巡らせる機会となったのである。