9月14日(土)、45年来の友人である佐藤明彦氏の長男・雄亮君の結婚披露宴に招かれた。

この日は、大安吉日ということで、会場のパレスグランデールでは、全9組の結婚披露宴が行われており、とても賑やかであった。



新郎の雄亮君と、新婦の恵さん。
東京で軽音楽を通じて知り合ったそうで、恵さんは、南国・高知県から北国・山形県まで、嫁いで来たのである。

この日は、新郎と同じ世代の自分の息子たちも参加し、ご両人を祝福していた。



新郎の父である友人の佐藤明彦氏。
そして、彼を祝福する先輩や仲間たち。

佐藤明彦君は、丸勘山形青果市場の社長であり、新郎の雄亮君も、同じ職場である。

丸勘山形青果市場は、1955年に、佐藤明彦氏の祖父である井上勘左衛門翁が銅町で初め、その子息である井上直洋氏(現会長)が後を継ぎ、1989年に、国道13号線沿いの、交通の便が良く、生産地とも直結している十文字の現在地へ移転した。

その後、三代目に、勘左衛門翁の孫で、井上会長の甥の、佐藤明彦氏が社長に就任する。
現在は、井上会長の長男の周士専務と共に、日本一の利益率の市場へと成長を果たしている。



井上直洋会長や佐藤明彦社長の一族の皆さんからは、自分達の吉村家の面々も、大変お世話になっている。

現職の山形市長で亡くなった父の吉村和夫、その秘書の斉藤淳一元山形市議会議長、弟の山形県議会議員の吉村和武…ずっと大きな支援を頂いている。

また、ダイバーシティメディア、ムービーオンなど、自分の事業にもご支援を頂いている。

そんなご縁も含めて、この日自分は、来賓を代表してのただ1人のご祝辞の栄誉を賜ったのである。
もちろん、弟の和武県議、斉藤市議も、お招きを頂いた。


明彦氏との45年の歴史…事あるごとに相談ができる親友であり、子どもが小さい頃から家族や仲間で出かけたり、集まって夜中まで騒いだりしたのである。
明彦ご夫妻と、平原綾香のコンサートに行き、その夜はディナーを楽しむのも恒例であった。



新婦の恵さんは、高知県の出身。
聡明で美しい女性である。



この日、高知県の特産の、芋けんぴが持ち込まれて振舞われた。



丸勘山形青果市場の社員の皆さんは、余興の中で、セリを始める。

バナナやシャインマスカット、そしてマスクメロンなどを即売会。

文字通りのご祝儀相場だった売上は、新郎新婦の新婚旅行代に寄付された。



また、映像とリアルのダブルでのダンサーパフォーマンスは、会場を大いに盛り上げたのである。



そんな多くの人々の祝福の中で、2人は新たなスタートを切る。

焦らず、慌てずに、ゆっくりと、しっかりと、歩んで行って欲しい。



会場で、ケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)の2代目のキャスターの井上知早子(現・高田)さんとお会いする。

東北の全ての放送局の中で、ケーブルテレビ山形が1番多く番組を制作していた時代に、アナウンサーとしてもディレクターとしても、抜群の才能を持っていた女性である。

たぶん歴代のアナウンサーで、最も華やかでオーラを放っていたのが井上知早子さんであったと思う。

今では、3人のお子さんのお母さん。
ぜんぜん変わらない明るさに、嬉しくなったのである。

井上直洋会長の長女であり、周士専務の姉である。


人生は、出会いの数だけ物語が生まれる。
そして、自分史を彩り、新たな未来が見えてくる。

若かりし頃は、出会いに意味を持たせ、「偶然」か「必然」かを考えていた。

しかし、今ではこう思うのだ。
「出会いも別れも縁であり、そこには意味を持たせず、未来を自らが描くだけなのである」と。


お2人の輝かしい未来を、自らの手で掴んで欲しいと、心から願っているのである。