ダイバーシティメディアの専務取締役、岩手ケーブルテレビジョンの代表取締役社長、ムービーオンの取締役副社長、パスラボの代表取締役副社長を歴任した笹原美喜夫氏。

この6月から、大きな役割を棚に戻して、山辺町の町民運動公園の事務局長に就任した。

ダイバーシティメディアグループの相談役としては残ってもらうが、本人の希望もあり、1つのミッションをやり遂げたいと、一点集中を還暦の年を迎えるにあたり選択したのだ。

パスラボ山形ワイヴァンズの本拠地として、山辺町を盛り上げていきたいとの思いを語り合った。



2人で食事をとったのは、半年ぶりくらいか…。

笹原相談役との出会いは、中学1年生の時。
自分は山形市立第一中学校の剣道部。
彼は山形市立第三中学校の剣道部。
他には、丸勘北山形青果市場の佐藤明彦社長が第五中学校の剣道部、山形県警交通部長の齋藤昭弘氏が第六中学校の剣道部。

みんな、まだ腕細き頬白の弱々しい少年だったと思う。
そんな中、一際大きな声で挨拶を、見ず知らずの他校の生徒にもしていたのが笹原美喜夫氏であった。

公園やスポーツジムなどで、名前は知らないが、「こんにちはー」とか「おはようございます」とかと、声をかける感覚。

しかし、まだコミュニケーション能力が無いと言っていい少年達は、彼の挨拶に戸惑った。

自分は、不思議な人だと思ったのであった。


その後、彼は山形県立山形工業高校へ、自分は山形県立山形南高校に進学する。

高校時代、各高校の応援団のメンバーや、部活に所属していなかったメンバーが、山形駅前の喫茶店「チェック」や「こけし」などに集まり、高校という枠を超えて仲間意識を醸成していた時代。
確か、「チェック」で、笹原美喜夫氏と再会したと思う。

生まれて初めて、トマトジュースを飲んだのもそこであった。

甲子園予選で、炎天下の下、学生服から塩が白く吹き出るまで応援をし、クタクタだった時、「チェック」によって、冷たいトマトジュースに塩と胡椒を入れて飲み干す。
その瞬間がたまらない快感であった。

その頃から、2人の間は、かなり縮まったと思う。

高校3年の頃は、自分たちのバンド「季節風」のコンサートチケットを、笹原氏から売ってもらったりしていた。


それから数年が経ち、次の出会いは、自分たちが20歳になった時、「二十代の会」という、父が県議会議員の頃の後援会青年部であり、1000人くらいの会員だったが、笹原氏からは、その事務局になってもらった。

そして、30歳を過ぎた、家族会のバーベキューの席上で、「ケーブルテレビ山形設立準備委員会」へ誘ったのである。



初めての「かっぱ寿司」という笹原氏。

うまい!うまい!と、食べていた。
山形県内では、初の回転寿司とのこと。



麺類があると言うと驚き、自分は天ぷらうどん、笹原氏は、海老味噌らーめんを食べる。

笹原氏は、回転寿司で何故麺類が食べられるのか?と、かなり不思議がっていた。



素晴らしき資源溢れる山辺の町。
その中核的役割を担おうとしている山辺町の町民運動公園。

パスラボ山形ワイヴァンズが、指定管理者として従事している。
そこに、笹原美喜夫事務局長が常駐しているのだ。


山辺町には、オリエンタルカーペット、峯田電器、市村工務店など、山形県を代表する企業も多い。

パスラボ山形ワイヴァンズも、その一員に入れていただき、少子高齢化の流れの中、山辺町をより持続可能性を保ち、未来に開ける地域にできるように、寄与できればと思うのである。

昨夜は、そんなことを、熱く語り合ったディナーミーティングとなったのである。