7月11日(木)、映画会社の東映の村松取締役企画調整部長が来社し、打ち合わせの後、レストラン「アキヤマ」にてディナーミーティングを行う。

村松取締役は、映画部長が長く、三角マークで知られる東映映画の全国展開を押し上げた。

その後、企画調整部に移り、映画製作を手掛けている。

昨年のアカデミー賞作品賞に輝いた、役所広司さん主演の「孤狼の血」や、吉永小百合さん主演の「北の桜守」などは、東映の真骨頂である。

岡田会長、村松取締役との長年のご厚意で、お声をかけて頂き、ダイバーシティメディアグループは、両作品の製作委員会に参加している。

今年も1つの作品に参加させていただき、その公開スケジュールなどについて打ち合わせをしたのである。



村松取締役との、最も大きな思い出は、何と言っても映画「小川の辺」の1日20回の舞台挨拶であろう。
2011年の東日本大震災の年の7月2日全国公開作品。
山形県は、6月20日から先行上映となったのである。



(映画「小川の辺」の舞台となった、山形市の馬見ヶ崎川の上流…山形市東沢地区)



山形市のムービーオンにて、10シアターで20回の舞台挨拶を行った、篠原哲雄監督、主演の東山紀之さん。

勝地涼さん、松原智恵子さん、藤竜也さんからも、交換でそれぞれ5回から7回は、舞台挨拶をしていただいた。



プロデューサーの発案で、各シアターで観客の皆さんと、写真を撮ったのである。

当時は、まだ35ミリのフイルムの時代。
各シアターの映写機に、10本のフイルムをかけ上映した。



10シアター20回で、2836席は、あっという間に完売となったのである。



山形県内の民放局のYBC、YTS、TUY、SAYと山形新聞社、さらに東北ケーブルテレビネットワークとケーブルテレビ山形がそれぞれ出資し製作委員会に参加した。
藤沢周平先生のご家族からも協力していただいた。


この日本初の同一場所1日20回の日本記録が可能になったのは、以下の3つの要素があった。

1、当時の東映の村松取締役の英断で10本のフイルムをお借りできたこと。

2、ジャニーズ事務所のご理解を得て、東山紀之さんが20回の舞台挨拶を行えたこと。

3、ムービーオンが、全てのシアターを開放したこと。

たぶん、二度とはできない画期的な企画であった。


山形新聞や各民放局の役員やアナウンサーの皆さん、吉村美栄子知事や当時の市川昭男山形市長も映画へ出演したのだ。

舞台挨拶にも全員が勢揃い。

アナウンサーの皆さんは、20回を手分けして舞台挨拶のMCを務めた。

日本の映画シーンにおいても、山形県の映画史においても、とても尊く貴重な出来事であった。




アミューズのコンソメロワイヤル。
サーモン。
フォアグラ。
アイナメ。
ホロホロ鶏など、味も見た目も最高の料理が続いた。

村松取締役も、大満足していただいた。



デザートで出た、庄内メロン。
疲れや悩みを解かして癒してくれる。



村松取締役は、自分の1歳年下である。

同じ世代の生き方についても、この日は深く話したのだ。

お互いのこれからのミッションについて話をし、より効果が上げるビジネスモデルを模索し共有しようと話し合ったのである。

日本映画は、まだまだ頑張れるはず。
物語はこれからが本番であるのだ。