小国町出身の舟山康江さんが、参議院議員に再び挑む際に、孤立無援の中でマイクを握って語り出した本間利雄氏。

「空から降ってくる建築ではなく、地域の歴史や風土から湧き立つ建築でなければならない。そこで生きる人々の暮らしや生活の中で、芽生える願いを叶える政治をしなければならないのだ!」

その言葉は、40代後半の自分の心臓を鷲掴みにした。


政治も経済も、人々の息吹や営みの中に成り立つものであり、何処かで誰かが決めて行われるものではなく、自らが自らによって未来を決めるものだと、改めて強く感じたのであった。


国家主権ではなく、主権在民である。


そんな強い意志を持ち、ふるさとを愛する心、無から有を作る建築家の信念、弱き人々を支える愛情が、本間利雄という人物の本質だと思う。



吉村美栄子知事の誕生、舟山康江参議院議員の誕生の時、本間先生は、郷土を愛し未来を託せる人を躊躇なく支援した。

そのブレない力強い姿を、自分は目の当たりにし、多くを学ばせてもらった。

その闘志溢れる戦いの中、垣間見る先生の笑顔は、格別なものがあった。


自分の父吉村和夫と、本間利雄先生は、同じ昭和6年生まれ。
山形新聞・山形放送の相馬健一元会長も同じ歳の生まれである。

父と本間先生の縁は深く、2人だけが分かり合えるものがあった。
自分も、本間先生と奥様を、若い時から親戚だと思っていた。


1975年頃、父は鹿野道彦元農林水産大臣の屋台骨を担っており、本間先生は近藤鉄男元労働大臣の大幹部であった。

政治的には反目しているのにもかかわらず、父が生涯で最初で最後となるマイホームを山形市あさひ町に建てる時、父は迷いなく本間先生に設計をお願いしたのである。



本間利雄先生は、2018年9月19日(水)に天に召された。
87歳の人生であられた。


9月23日の告別式の会場は、その日の朝に摘んできた、小国町や飯豊町の草花で飾られ、先生の在りし日の写真が散りばめられていた。



そして、会場の一番奥には、本間先生がこよなく愛した、飯豊連峰がパネルにして貼られていた。

まるで先生が、故郷に帰っていくような気がしたのである。

小国町の基督教独立学園の皆さんが進められた告別式は、素晴らしいもので感激した。

賛美歌が歌われ、棺の蓋が開けられ、その歌の言葉が、染み込んでいく。
共に、同じ空間にいる…そんな感覚を参列者は覚えたのである。



自分は弟と一緒に参列した。
告別式が終わると、本間先生の棺に皆んなが寄り添って別れを惜しんだ。



出棺。
参列した人全員で、本間先生を送り出す。



相馬健一氏、舟山康江さんと共に、弔辞を読まれた東京大学名誉教授であり建築家の香山壽夫先生。
香山先生は「本間先生にとって、建築家は天職である。天職とはコーリングと言い、天からの呼びかけである」と話された。



今年7月下旬に、香山先生は、本間先生を訪れ対談をなさっている。

タイトルは「小国と信仰・建築への想い」

新潟に生まれた香山先生は、朝日連峰を南から見て育ち、本間先生は北から見て育った。
その山の向こうを思い描いたそうである。

お二人の感性や思想、哲学が、お互いを引き寄せ、無二の理解者となられた。

対談は、「建築をつくる喜び」と「山の向こうのもう一つの日本」について語られていた。



本間利雄設計事務所所長として、実に多くの建築を手掛けられた。

東北、山形の自然や景観と融合した風土や歴史に培われた、東北芸術工科大学や山形県美術館、シベールアリーナや山形メディアタワー、水の町屋七日町御殿堰など、多くの願いや夢をカタチにされたのである。



また、光栄なことに、自分が2011年から理事長を務める東海大学山形高等学校の、耐震改善の為の新校舎の設計を、本間先生からしていただく機会をいただく。



素晴らしい校舎が出来上がった。
テーマは、「骨太の建築」「多様性の泉が湧き可能性が広がる校舎」



新校舎落成の日、本間利雄先生の後継者の本間弘さん、市村社長、会津社長、船橋社長と屋上を歩く。

晴天であり、蔵王山が見透せた。



東海大学山形高等学校を代表して、本間利雄建築設計事務所への感謝状を本間弘さんに渡す。



本間利雄先生の心残りは、やはり建築家としての集大成として位置づけていた、山形県総合文化芸術館の完成を見ることができなかったことであろう。

しかし、その想いは、随所随所に残っているはずである。

本間先生と弘さんと会食した夜、建築家・本間利雄のほとばしる熱さと、信念と誇りを感じたのであった。



昨日の10月11日(木)、これから、本間利雄建築設計事務所を率いる本間弘所長と、田中晃副所長が再出発のご挨拶に来られた。

本間弘所長におかれては、昨年の3月の奥様利枝さんのご逝去に次いでの二重の悲しみの中、2人の意思を継ぐという覚悟を述べられていた。

田中晃副所長は、自分の山形南高校の同級生。

あまりにも大きすぎた本間利雄という稀代の大建築家。
その後継の本間弘氏を、所員全員で支えながら、本間利雄先生の哲学や思想を皆さんで遂行することを、心から願うのである。


本間利雄先生のこれまでのご厚情とご指導に心から感謝し、天上からしっかりと山形県、日本国を見守っていてほしい。
16年前に先に逝った、父の吉村和夫と一緒に、笑いながら…。