先日、オレンジ&パートナーズに入社し、その後N35で小山薫堂氏の秘書をしていた鈴木小夏さんが、わざわざダイバーシティメディアに来社され、6月末での退職の挨拶と報告をしてくれた。

退職と言うより、むしろ卒業という感じがした。



自分の長男であるダイバーシティメディア・メディア戦略局長の吉村和康も、小山薫堂さんが立ち上げたオレンジ&パートナーズに、多摩美術大学から初の新卒採用者として迎えていただき、1年目から映画「おくりびと」の米国アカデミー賞最優秀外国語映画賞の受賞式が行われたロサンゼルス・ハリウッドにも、オレンジのメンバー全員で行き、「人生の輝きの瞬間」を感じさせてもらった。
結局、5年間お世話になり山形に戻った。


鈴木小夏さんは、東北芸術工科大学から、最初はオレンジ&パートナーズに入社し、その後、N35に移り、小山薫堂さんと最も近い場所で仕事をしていた。
たぶん、薫堂さんの価値観や考え方を、目の当たりにしながら、自分の心の中に刻み込んで行ったに違いない。


息子同様に、軽部副社長、萩尾取締役からも大変お世話になり、様々なことを学んだ5年間だったと話してくれた。


鈴木小夏さんは、辞めてから、「小山薫堂さんの側にいること自体が、普通では考えられない特別な環境であり、どんなに光栄で素晴らしい経験をさせていただいたかが、改めて分かりました。」と話していた。


これからのことは、熟慮中とのこと。



鈴木小夏さんは、東北芸術工科大学1年生の時から、YMF山形国際ムービーフェスティバルの手伝いをしてくれたり、ダイバーシティメディアの前身のケーブルテレビ山形でバイトをしてくれたり、社内には顔馴染みのスタッフが多い。

この日は、鈴木淳予アナウンサー、高橋俊行ムービーオン常務、佐藤則子YMF山形国際ムービーフェスティバル事務局長、大学の先輩の松田優香秘書広報室秘書課長などが彼女を出迎えた。



ちょうど、小山薫堂さんと、軽部政治さんから、下鴨茶寮のコラーゲンたっぷりのスッポンのお吸い物「命のお椀」が届いた。

感謝である。



小山薫堂という人は、自分の人生の中で出会った人の中で、五指に入る才能と品格と優しさとセンスを持ち合わせた傑出した人物であり、自分より年下ではあるが、心からリスペクトしている。

それが作られた表面だけのものや、無理に見せているわけではなく、素から放たれる自然体であるから素晴らしい。



そして、薫ちゃんより数年早く知り合った軽部っちこと軽部副社長。

ビジネススキルとプレゼンテーション能力は、他の追随を許さない。



また、萩尾友樹取締役は、27歳の時に、YMF山形国際ムービーフェスティバルのキャッチコピー「才能よ、雪に埋もれるな。」を考えた実務型のクリエイターである。



東北芸術工科大学の企画構想学科の立ち上げ、初代学科長の小山薫堂教授。

様々な想いや考え方を山形に残して行ってくれた。

今は、ボブ田中氏が、学科長として新しいページを作られている。

いよいよ週末は、オトナルヤマガタの開催である!



(オトナルヤマガタの前身の「月山青春音楽祭」にて)



昨年の3月19日に、東北芸術工科大学の学科長から、京都造形芸術大の副学長に就任する際、小山薫堂さんは、わざわざダイバーシティメディアに、東京から車を運転して山形に入り、挨拶をしに来て下さった。


そんな人物なのである。



お金持ちになりたい!
偉くなりたい!
有名になりたい!
…彼にとっては、これらはすべて二次的な価値観である。

最も大切なことは、相手や周囲を、そして人々を「シアワセにすること」「愛し続けること」


自分からは、最後に鈴木小夏さんへアドバイスをした。
「どこに行っても、小山薫堂さんはいないから、探したり比べたりしてはダメ。自分の中に置いて、新たに育って行くこと!」


和康局長もアドバイスというか、自分がオレンジを卒業する時に、小山薫堂さんから言われたことを伝えていたようだった。


まだまだ20代、鈴木小夏の物語は、始まったばかりである。