自分の主治医の歯科医師、旧姓橋本康子先生が、生涯の伴侶としたのが、当時ドイツの薬品メーカーのバイエルに勤めていた、雪ノ浦邦恭君である。


ご存知の方も多いが、自分の父吉村和夫と、康子先生の父の橋本栄一氏は竹馬の友。

山形南高校卒の父が山形市長に立候補し、同学年卒で山形東高校の同窓会長でもあり、歯科医師会をまとめ選対本部長を何度かされたのが橋本栄一先生である。

高校時代、山形南高校の宿敵であり最高のライバルであった山形東高校の野球部の橋本栄一氏。
同じ野球部には、山形新聞社の元社長の相馬健一氏もいた。

相手方山形南高校の初代応援団長として、ダミ声を張り上げていたのが、自分の父吉村和夫である。

それから、何十年も積み上げてきた2人の歴史。

父が現職市長で亡くなる時、橋本栄一先生も、同じ病気に罹っていた。

父のお見舞いに何度も来てくれた。
父の方が天国には早く逝った。
その数年後、栄一先生もお亡くなりになられた。
自分も、前日まで病室にいた。

2人が病に倒れていた頃、橋本康子先生は、東京のど真ん中で歯科医を仲間とやられており、山形に帰ってきて橋本歯科医院を継ぐか、東京にこのままいるか、悩みに悩んでいた。

その頃、幼き頃から、妹みたいな存在の康子先生と、何度か食事に行き、様々な話をしていた。

しばらくして、康子先生から「結婚を考えている人がいる。会って欲しい!」と言われ、お会したのが雪ノ浦邦恭君である。


栄一先生ご夫妻も認めてくださり、栄一先生の生涯で唯一気がかりであった、康子先生の結婚と橋本歯科医院の未来が約束された。

橋本康子という女性は、両方を一挙に手に入れたやり手であるかも(笑)


以上の馴れ初めは、お二人のご結婚披露パーティーの時、発起人代表の挨拶で、しっかり説明させていただいた。



物語の続きは、そこからである。

新築西通りの橋本歯科医院は、雪ノ浦歯科医院と名前を変え、なんと、雪ノ浦邦恭君が、外資系の一流企業を辞めて、山形に居を移したのである。

それまでは、週末婚の様な形から、会社を辞め、康子先生と本当の夫唱婦随になったのである。

彼は、自然が大好きで、仕事をしながら趣味の家庭菜園をしていたが、それが昂じて本格的な農家になったのである。



そして今日、夕方「和文さん!初めて収穫したサクランボです!食べてください!」と、満面の笑みで声をかけられた。

感激だった。
よくぞ、ここまで頑張った!
大したものだと思う。
一流企業を辞め、東京から山形に移り住み、自然を愛し、農業に転職し、みごとに立派なサクランボを収穫したのである。

「去年1年間修行しました。まだまだですが、第一歩です!」

大切に食べさせてもらいたい。



こちらは、売り物にはならないサクランボだそうだ。

多くの中の一握りが、売り物になるのだと、改めて知る。

山形に来てから、悩んでいたり、嫌な顔をした雪ノ浦邦恭君を見たことがない。

元来明るく、オペラや音楽、ワインや日本酒、そして自然や作物が大好きな、とっても素敵な男性である。

自分にとって、とっても嬉しい出来事であったのだ。
きっと、父と栄一先生も、天国で一緒に笑っているだろう。