4月30日(月)の祝日、例年より早く見頃を迎えた、立谷川の「芝桜の絨毯」を見てきた。

今年は、芝桜の中に、黄色く風になびく菜の花もあり、色鮮やかである。



年々、規模や訪れる人が多くなってきている。



べにばなトンネルを通って行くので、山形県庁周辺から、高瀬や大森に行く時間が、とても短縮された。



晴天ではなかったが、ちょうど良い天候であり、様々なイベントが行われていた。



立谷川沿いに、菜の花が咲いている。
ピンクの花の中、とても鮮やかであった。



この日は、パスラボ山形ワイヴァンズの選手たちも駆けつけてくれて、ファンの方々と、サイン会やジャンケン大会、さらにはフリースロー対決などがあった。

山形ワイヴァンズの藤岡昂希選手と、宮坂侑選手が参加する。



開始前から、ファンが集まってくれる。



山形ワイヴァンズの唯一の創立からのプロパー選手である藤岡。

彼がいたから、ここまで、ワイヴァンズが戦ってこれた…影の立役者である。



この場所のオーナーで、べにばなメモリアルパークの村田金次社長。

自分にとっては、中学校時代から、1世代上の飛び抜けていたガキ大将であり、その弟の村田武志と自分が同級生。

そんなこともあり、べにばな霊園の最初の理事にも、自分が参加したのであった。

また、村田金次社長のお爺さんが、山形県で最初の興行師であり、今、自分が務めている、山形県興行組合の草分け的な存在であった。

映画興行、お祭り、露店など、戦後日本の成長期に、民衆が集う中心に、村田金次さんの祖父がいらした。

その頃、自分の祖父は、山形警察署長と消防長だったそうで、戦争に行った事で、男性の人口が減った中、町の治安や馬見ヶ崎川の氾濫など、山形の町を守る為に、夜を徹してみんなで力を合わせたと聞いている。


三代にわたる付き合いである。
息子たちも、とても仲が良いらしく、四代にわたるお付き合いをさせていただいている。



みんなで、ワイヴァンズのリンクを建てる。


自分の父親が、県議会議員当時、露店商組合の顧問をしていた関係から、馴染みの方も多く、必ず買い物をさせてもらう。

この日も、選手とスタッフへ、お好み焼きとドンドン焼きの差し入れ。



村田社長のご夫妻と一緒に…。

今や、大森地区、立谷川地区の季節の催事となった。
来年は、更なる多くの方々が集まることを願うのである。