2018年1月9日、62才で早すぎる別れを告げた、友人岡田新一さん。


静かで温厚な性格であり、誰とでも正面を向いて、しっかり会話できる人であった。

一方で、間違っていることには間違っていると、迎合することなく、正義を貫ける人であった。


自分よりははるかに思慮深く、吉村知事の選挙対策事務所では、岡田新一さんと伊勢和正ワシントンホテル社長が兄貴役で、自分の意見もしっかり聞いていただいた。


岡田さんが連合事務局長から会長に就任した時は、心から嬉しく、お祝いをしたのを覚えている。


自分の長女と岡田さんの長男、自分の次男と岡田さんの長女が、山形市立第8小学校と山形市立第1中学校で同級生であり、PTAでも奥様とご一緒したことが何度かあった。

そんな幾重にも重なるご縁が、年々深まっていき、生涯の友人の1人と確信していた大切な人であった。



2018年4月14日、山形国際ホテルにて、労働団体主催の「岡田新一さんを偲ぶ会」が執り行われた。



指名献花と黙とうの後、小口裕之連合山形会長代行が発起人を代表して挨拶をされた。



全国連合の神津里季生会長の哀悼の言葉。
連合は、49産別、700万人の大組織である。
その山形県の会長であった岡田さん。
混沌とした時代だからこそ、真実を見る力のある必要な人材だった。



山形県の吉村美栄子知事の哀悼の言葉。

岡田さんは、親友のように、知事に寄り添ってくださり、知事もよく相談をしていたお一人であり、アドバイスを求められれば、鳥瞰的に建言をされていたように感じる。



最近は、岡田さんと二人三脚で動いていた舘内さんが司会をしていた。



会場には、約400人が参列していた。
自分は、1番後ろの席で、岡田新一さんの在りし日の姿を思い出していた。

なんともやるせなく、残念無念である。



遡って、今年の2月28日(水)、山形ワシントンホテル三十三間堂にて、知事の三度の選挙対策本部の事務局長としての岡田さんの追悼の会を、選挙対策本部の常勤者で行う。



岡田後援会長の後、吉村美栄子知事からの感極まるご挨拶。



高橋啓介県会議員からは、何十年の長きに渡り、友好を深めた感謝の意を涙ながらに語られていた。



岡田新一さんの人徳だなぁと、皆さんのお話を聞いて思った。



選車隊の園部隊長も、多くの選挙の中で、戦いのど真ん中で、彼の気遣いや優しさが身にしみたと話していた。



今も、生きているような錯覚すら覚える。



あの楽しかった日々、様々なことを進めていった日々を、自分は忘れない!

あなたと出会ったことは、とても幸せで、誇りに思うことである。

どうぞ、安らかに、安らかに…。
ご冥福をお祈り致します。

ありがとう。
さようなら。

合掌。