今月の2月26日に、山形日産自動車の社長である小関眞一社長が、日本自動車販売協会連合会(自販連)の会長に就任する。

自分の事のように嬉しく、素晴らしい事だと感激している。

小関眞一社長との出会いは、1991年頃。

自分がケーブルテレビ山形準備委員会事務局長として、何度も会社設立の相談に伺った。

当時、自分は31歳。
小関眞一さんは、当時は営業副本部長で、33歳。

当時は、母親の所有していた、ボロボロの日産サニーで、各企業を回っていた。

ちょうど衛星放送が開始された時で、日産グループも衛星放送からのCMの配信を考えていたとのこと。

放送通信に当時から明るく、2つ違いの兄貴分として、お世話になったのである。

山形市長だった自分の父親も、先代の小関喜久会長とは、昭和一桁同士で仲が良く、宮町のご実家を含め、大変お世話になっていた。

ケーブルテレビ山形の最初の50者の出資者の一人であり、会社ができてから、自分は憧れの「ブルーバードsssターボ」を、眞一さん(当時は眞ちゃんと畏れ多くも呼ばせてもらっていた)から、買ったのである。
ローンも日産を使わせてもらった。



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当時のブルバードsssターボは、自分が自分のために自分でローンを組んで買った始めての車である。

本当の意味のマイカーである。


自分が乗っている車は、ハイブリッドのレクサスが出るまでは、ずっと日産車を乗っていたし、その後ムービーオンの隣のモトーレン山形さんが土地を借りてくださってからはBMWとなった。
(妻の車は、犬を2匹飼った頃から、トーラスという8人乗りの中古車になる)

しかし、弟も息子も、現在も、日産自動車を愛用している。


Smile(笑顔)
Story(物語)
Speed(早さ)
Spirit(魂)

この4つの「S」を極めれば、FORCEとなる…と、山形新聞に取り上げられていた。

さすがスターウォーズの、ジェダイの騎士のような人物そのものである。


先日、日産グループや観光タクシーの社員の皆様の主体性や、お客様サービスの工夫などの事例を、弊社のグループ部長会議で聞いたばかりである。

隅々まで、行き届いた、愛情がこもった会社づくりを、これからも見習って行こうと思ったのである。


小関眞一社長の益々のご健勝と、日産グループのご発展を心から祈念したい。


そして、メディアとモータリゼーションのAIによる連携やコラボレーションの時代が間近だけに、心が弾んでいるのである。