気持ち的に、やっとブログを書くことができる。

正直、笹原智美社長の訃報に接してから、とても落ち込んだのであった。

数日前に、いつものように、東京からのお客様に対して、最高の「おもてなし」をしていただき、菖蒲の間(藍の間)で、智美社長からの料理の説明、史恵女将の笑顔のご挨拶の余韻が、まったく消えていなかった。

親の代からの付き合いだけに、近い親戚であり、友人を失ったようであった。
同時に、史恵女将、長女の百可ちゃん、次女の三聖ちゃんのこれからのこと、亀松閣そのものの存在に、心が持っていかれた。

そして、智美社長がいなくなることが、何よりも残念無念であり、悔しくてしょうがなかったのである。



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4月1日(土)、ロシアのソチ映画祭で、 主演女優賞を受賞した女優の松原智恵子さんが、ムービーオンやまがたにて映画「ゆずの葉ゆれて」の舞台挨拶後、バスラボ山形ワイヴァンズのホーム試合を応援してくださり、亀松閣に着いたのは、午後8時15分頃だった。



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この日も、最高の料理を作っていただき、松原智恵子さんやマネージャーさん達は、大喜びしていた。



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智美社長自らが、軽めに茹でた伊勢海老とアワビを、炭火で焼いてくださり、生ウニのタレにつけて食べるという、また新しいメニューを出されたのである。


以前、智美社長と話した時がある。

「日本のど真ん中で活躍している一流の方々を、吉村さんは亀松閣に連れて来てくださる。
自分もそれに負けないくらい、その方々が日本一の料理が亀松閣にあると言ってくれることを目標にする!」

「じゃあ、お互いに、日本の一流を目指しましょう!」と自分も応じた。


女将さんから聞いた話では、いつも楽しみながらも、新たな料理にチャレンジしていたそうである。



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そして、この日、4月1日の午後10時過ぎ、結果として、これが笹原智美さんの最期の写真となる。



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4月5日(水)午後4時頃、七日町通りに新たな中心商店街のランドマークの「オワゾブルー」の素晴らしいオープニングセレモニーに参加し、ある種の高揚感と感動を胸にダイバーシティメディアに戻った。


親友の菊地保寿堂から、「亀松閣の智美社長亡くなったか?」との突然の電話。

「んなバカな話ないべ!土曜日に亀松閣で夕食食べたばかりだぜ?」
「いや、たぶんそうだと思う。」という菊地社長の太い落ち着いた声に、一瞬不安になり、さっきまで一緒だった、智美社長の義兄のワシントンホテルの伊勢和正社長へ電話をした。

電話は繋がったが、「折り返します。」の伊勢さんの一言で、不安が確信に変わった。

その後の折り返しの電話で、事実を知るのである。

4月5日(水)、午後1時27分、心筋梗塞でご自宅で亡くなられた。
享年59歳であった。


通夜会場に行ったら、史恵女将さんが、「お父さんと同じになってしまった」と泣き崩れて、「先日の松原智恵子さんのブログの写真をコピーして、料理場に貼って喜んでいたのに…」と。

智美さんのお顔を何度か撫でるが、すでに体温はなかった。
残念無念である。


ご親戚の武田市兵衛さんや吉田真一郎さん、義兄の伊勢和正さんや新関芳則山形県料理飲食業組合理事長がおられ、北ロータリーの会長さんらがいらした。

そこへ、大阪から吉村美栄子山形県知事が戻り駆けつけお参りをされ、史恵女将が泣きながら話していた。


そもそも、智美社長のお父上は、自分の父で元山形市長吉村和夫と山形大学ボクシング部で一緒であり、同級生の親友であった。


お父上は、42歳で心筋梗塞で急逝された。

そんな智美さんを、親友の息子として、修業先の京都「瓢亭」まで、智美さんの様子を見に行っていたのが自分の父である。


自分は、智美社長が「瓢亭」から戻られた頃、父親と亀松閣に朝粥を食べに行って、智美さんを紹介された。

約34年前の話である。



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吉本興業の大崎社長御一行様。



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「あぶない刑事」御一行様。



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斎藤茂吉翁のお孫さんの斎藤茂一ご家族御一行様と、吉村美栄子山形県知事。



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東映営業部御一行様。



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増岡日本テクト社長御一行様。


他にも、役所広司さん、北川景子さん、Bリーグの大河チェアマン、小山薫堂さん、行定勲監督、馬場元子さん、曙や秋山選手、宅間孝行さんと関口大輔プロデューサー、NTTコムの武藤元取締役や山下理事、政治関係者、IT関係者、メディア関係者など、実に多くの方々をお連れしたのである。


笹原智美社長兼料理長は、自分の意図をすべて理解してくれているように、阿吽の呼吸で、みんなを山形ファンにしてくれた。

当然、史恵女将もサポートをしてくれた。



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ダイバーシティメディアの前身のケーブルテレビ山形の市民チャンネルで、「亀松閣」の密着取材番組の時、ご夫妻の二人三脚の姿が日常にあった。

二人の娘さんは、将来の夢を、長女は女将さんに、次女は料理人になることをカメラの前で話していた。

そこには、溢れんばかりの愛情いっぱいの笹原家があると思ったのだ。



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また、智美社長は、トーク番組「今日とは違う、世界がある。」に、数回出て下さり、「食へのこだわり。亀松閣の看板を守る。食を通した教育。おもてなしの心。」など、しっかり主体的な考えを述べておられた。

ダイバーシティメディアの制作スタッフは、葬儀の数日前に、女将さんから、葬儀会場で流すビデオ制作を依頼され、これらの番組から再編集をかけたのである。

良いビデオだった…と、長谷川吉茂葬儀委員長から声をかけていただいた。



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智美社長が亡くなられた約1週間後、亀松閣へ伺った。

いつものように、女将さんからご挨拶があった。

そして、智美社長の弟子である板垣進料理人が、これからの亀松閣の味を守っていくと、おっしゃっていた。

変わらない「亀松閣」のカタチに触れて安心した。



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長谷川吉茂山形銀行頭取が葬儀委員長を務め、京都の「瓢亭」十四代当主の、高橋英一会長が弔辞を読まれた。
その他にも、多くの方々が、無念さを滲ませた弔辞であった。

長女の百可さんは京都への女将修行。

次女の三聖さんは「瓢箪」に料理修行。

まだ始まってすらいないのにと、残念と言われた方もいたが、レールを敷いただけ安心だからと、労う方もいらした。

葬儀には、1000人近い人が参列したのではないだろうか?



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五七日の法要を終え、山形ワシントンホテルの三十三間堂で、御斎に約70名が参加する。



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山形の料理界の皆さんや、親族、そして、亀松閣と関係が深い方々が呼ばれた。



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亡くなられたあと、かなり落ち込んだが、昨日の5月2日(火)の葬儀での、「亀松閣」を守っていくという、女将である史恵様の強い意志を聞き、娘さん達の「亀松閣」を継ぐということを受け、自分も、やっと智美社長との思い出をひもとき、向かい合ってブログを書こうと思ったのである。



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落ち込んでいた時、弟が来て、「兄貴、兄貴がやれることは沢山あるべ。今こそ、ちゃんと恩返ししなきゃ!」と、13歳下の弟に教えられた。



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生者必滅、会者常離は人の世の常。

しかし、これまでの30有余年の間、とっても素晴らしい宝石のようなキラキラした時間を亀松閣さんからいただいた。

その瞬間は永遠である。

これからも、きっと、智美社長が様々なところで注いだ愛情あふれる「亀松閣」を、これまで通りに発信していくつもりである。

笹原智美さん、長い間、ありがとうございます。

天国で、親父達に、朝粥でも食べさせておいて下さい。

ご冥福をお祈りいたします。

合掌。