10月19日、この日、細谷隼人の夢が叶った瞬間のような気がした。

彼と出会ってからの、様々な思い出が頭をよぎった。





隼人が、やっと、ここまでたどり着いたことが、自分のことのように嬉しかった。



フジテレビの人気番組「あいのり」に出演し、山形弁で周囲に優しさと強さを放ち、東北人らしい真面目と誠実さが、あっという間に全国的な人気を博したのである。

彼が帰国して番組を卒業してからも、ネット投票で「あいのり出演男性好感度ランキング」のNo.1にいつづけた。


自分と出会ったのは、その後しばらくして
からである。


正直、約12年前の隼人は、混沌の中にいたように感じた。

前に進みたくても進めず、どの道が本当の自分になれる道なのか…、もがき苦しんでいるように感じた。


「あいのり」に出演し、全国的な人気者になり、メディアや周囲の期待に応えて、テレビに出演して、夢を提供したい…という思い。

一方で、地域と家族へのこだわり…とりわけ父親の寿司職人としての背中への愛情と尊敬の念。

特に、この2つの道の折り合いがつかなかった。


また、隼人自身、それをやり抜く覚悟も自信もまだなかった時代である。





そして、自分と隼人で話し合って1つの道を決めた。

旧ケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)の人気情報番組「バイキングステーション」の中に、「隼人組」というコーナー番組を作るということ。

「山形を元気にしたい!」ということを、メディアを通して隼人が実践する。

そして、平行して、「食の修行を、アルバイトなどを通してやること」


1年目は、日本一高いクリスマスツリーを作る!
…霞城セントラルのクリスマスイベントとタイアップして実現した。

2年目が、写真の「天童鍋合戦」に、出演し1年目から、準優勝にあたる「鍋の局(つぼね)」をいただく。

老舗料亭「四山楼」の若女将と、板長からは、大変ご指導を頂いた。




劇団座長の経験を持つ、水口牛氏が演出を担当し、隼人組が、初めての舞台芝居に挑み、遊学館で発表会に臨んだこともあった。



さらには、「ケーブルテレビ山形の前の看板に大きな絵を描きたい!」も、隼人組でやった。






いつの間にか、番組のセンターMCをやり、今年3月まで、隼人がケーブルテレビ山形の顔の一人であったことは言うまでもない。




何度も、隼人と会社などですれ違うたびに、いつも自然とポーズが出るのだ。



宴庭「はやと」は、上山市のカミンのすぐ側で、お父さんが上山市十日町で42年間やってこられた「弁天寿司」と、隼人の創作和食が、合体してひとつの店となったのである。




12年を通して、夢が叶う父と息子。

この日の隼人の顔は、とても輝いていた。




最高のカツオであった。



店の外からカウンターが見える。








皆が、すべてに興味津々である。

料理は、すべて美味しい。



須貝も、小林も、大満足であったと思う。



お父さんが、隼人をサポートしながら、進めていく姿が、感動的であった。




美味しい、肉とネギトロ。



蔵王山とブドウが、店のテーマだそうだ。



こちら、ずっと隼人と番組を共にしてきた、小林ディレクター。





生寿司と、松茸のお吸い物。





横戸上山市長と、近所の方々である。



結婚式には出なかったので、奥さんとは初対面…とても素敵な方であった。




いつまでも、来店者を楽しませてくれて、さらには、宴庭「はやと」が、全国的にも知られることを、心から願いたい!

いよいよ、ここからは、きっと、人生の本番だからね!