今こそフェニックス宝塚 | こーちゃんの紅茶の濃さは白湯に色がついていればOK      趣味と雑記 ときどき育児

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日常で経験したことなどを、公共の福祉に反しない程度に綴っていきます。趣味はいろいろ広く浅く。最近の趣味はゴルフ(永遠の初心者)、旅行、図書館通い、本屋めぐりなど。とりあえずは、人生初の英語圏への海外旅行と、日常生活を交互に書いていこうと思います。 

こんばんは。

お元気でしたか。3月4月はいろいろと出会いと別れがあり気分が晴れやかでない人も多いと思います。

しかしまあ、生きていたらいいこともありますよ。あとはあった事を好意的に考えるか、今までは大事にされてもらっていたとかそういうことを考えるようにしましょう。

あとは、人間には適応力というか恐ろしいほどの慣れという感情がありまして、最初は抵抗があることでもなんとなくそのうちに慣れてくるものです。環境を変えることも大事かもしれませんが、慣れるまでがんばることも大事です。

 

最近の宝塚については、いろいろと難しいですね・・・。スルーしてもいい問題かもしれませんが、少しわたしの意見も書いておこうかと思います。

まず、コロナになってから、1,2回は妻がチケットを取ったので宝塚大劇場で観劇しましたが、・・まあ、なかなか堅苦しいですね。劇場内でマスク着用(はしなくてもよくなったか・・)、劇場内おしゃべり、会話の禁止、劇場内飲食の禁止、当日券は販売しない(これが個人的に一番イヤ) こんな状態でどうやって楽しめというのかと絶望に近い感情を得ました。モハメドアリと戦った時の制約だらけのルールを承諾した時のアントニオ猪木の気持ちがよく分かりました。見る側にストレスがあるくらいですからやる側に相当なストレスが蓄積されていたということは想像に難くありません。

 

(写真は2000年に建築中だった宝塚ホテル、公演中止になったらここのスタッフも立場がつらいのでは・・・)

 

で、今日花組の公演が中止になったみたいですが、公演をやると発表しているんですから・・・どうやっても代役を立ててやるべきだしそうするのがスタッフの仕事ではないかと思います。以前も書いたかもしれませんが、どうやっても公演ができないのであれば劇場の前に机を並べて有志でサイン会なり握手会なりをやって、誠意を見せてお客様に納得して帰ってもらえるように努力すべきではないかと思います。代役といえば、昔天海祐希がトップスターの誰だったか(忘れてしまいました、他の人の名誉のために軽々しく名前は書けません)が骨折して休演になり、そこで代役でトップをしてから伝説が始まったと思います。(が、なぜか検索してもデータが出てきません) なので、そもそも競争社会なので、誰かのピンチは誰かのチャンス、ピンチをチャンスにしてこそ大衆エンターテイメントではないかと思うのです。とにかく、公演を簡単に中止するようなトップは説明責任を果たすか辞めるかどちらかをすべきだと思います。

というか、宝塚大劇場から花の道まではいつもきれいに掃除されているんですが、これは勝手にきれいな状態が続いているのではなくて、朝6時から黙って掃除してくれる人がいるからいつも綺麗なんですよね。最近は現状を確認していないんですが、来てくれる人のために道を掃除してくれている人の事を思うと非常に胸が痛みます。

 

去年、宙組の生徒がニュースになりましたね。宙組は2000年台ごろから下級生のファンクラブを作る事を禁止していたりと誰が何のためにやっているのか理解が難しいルールがあり、伝統的にいじめ、派輪原と認識されることは多かったのかと思います。

今までは組員各自がいろいろとストレス発散する手段があったかと思いますが、コロナで行動を制限されてからそういう傾向が加速されてしまったのでしょう。ただ寿つかささんは昔から人柄の良さみたいなものを感じていたので、良い方向に行かなかったのは残念です。ニュースになった方も、本来であれば人生で一番楽しい時であったかもしれないので1回休職届けを出して、半年くらい少し劇団から距離を取っても良かったかと思います。人生50歳くらいになると、20代の時はまさに人生で一番楽しい時と俯瞰して認識できますが、当の20代はいろいろその人の尺度で悩み苦しんでいるのでしょう。あとは、やはり人が0歳~20歳になるにはどれだけ周りがいろいろほぼ無償でサポートしなければそこまで育たないという事実が・・・やはりイマジネーションできないというのが若いということですね。それと、やはり本人のプライドというか、責任感があって逃げれなかったんでしょうね。残念な事です。

 今まで20年くらい宙組で新人として配属されて辞めていったというか退団した人をずっと見てきましたが改めてみなさんには

『今までよくがんばりました。お疲れ様でした。』 と言いたいです。

 

 それと同時に、1990年代くらいの宝塚は足の引っ張り合いがあり、差し入れのサンドイッチを食べたら砂が入っていたなどのエピソードは聞いたことがあります。昔の壇れいなどは超絶美しかったので、それこそ一時日本全国から嫉妬の嵐を受けながら舞台に上がっていたと記憶しています。そのプレッシャーでつぶれない事もトップになるメンタルとして必要事項ではあると思うし、日ごろからスキャンダルが出ないように言動・行動に隙を作らない事も大事だと思います。 蛇足ですが、ユーチューブで宝塚の映像を見て壇れいが出てるなーと思ってみていたら、その映像が1980年代のもので壇れいそっくりな人で別人だったのでひっくり返るほど驚いたことがあります。日本全国から容姿端麗な方を集めているので、顔は何パターンかで似てくるんでしょうね。

 あとは、100年以上お客さんに支持されてきたということは、やはり相当に厳しいということはあるかと思います。例えば、最近思うのはジャンルが違いますが特撮の円谷プロが製作した『ウルトラマン』は完成度の高さから、今なおファンから支持されています。ウルトラマンの作成当時、円谷英二さんは70歳くらいだったと記憶していますが、きっと昭和の時代だし、現場は派輪原、怒号、暴力の嵐の現場だったのではないか・・とも想像します。妥協が無いということも大事は大事です。

 紫吹淳さんは、

 『自分が立っていて痛くないようなポーズが、客席から見て美しいはずがない』と言っていた(気がします)のは名言です。いろいろ事件が起こった後でもう一回この言葉を思い出すと意味が深く感じます。

 

 とりとめのないことばかり書いていまして、みなさんの貴重な時間を取ってしまって申し訳ない、ですが時間がある人はもう少しお付き合いください。

 わたしが好きな川柳を紹介します。

    あの時の パワハラわたしを 強くした

 昭和生まれで管理職をしている日本の人ならけっこう当てはまる人は多いのではないでしょうか。

 わたしもそういう要素は厳しい現場ではある程度は必要かと思いますし、強い野良犬が生き残るように、組織でうまくやっていける人が上に上がるというのはあるでしょう。

 しかし昔は経済が右肩上がり、多少能力がなくても給料ががっつりという人も少なくはありませんでした。現在はコストカットすべきは何かと話題になるなど明らかに先細り感があることばかりが取り沙汰されます。昔の若者と今の若者、どちらが幸福かと言うと難しい。ただ、昭和に時代から谷村新司さんの 昴スバルという曲はあり、

例えばA地点からB地点に行けば明るい未来があるかと思いましたら

実際にB地点に行けば、そこに立ってみたら荒野に向かう荒れた道しか見えない

という歌詞がヒットしていました。

なので、宝塚歌劇団を受験する時は、受かったら明るい未来があるかと想像しますが、実際に受かれば受かったでいろいろ大変、将棋でも若い時に奨励会に受かって喜んでも奨励会はまるで地獄、という人も多いでしょう。まあ、しんどいのならば辞めてもいいんです、少なくとも経験していない自分よりは成長した自分になっているでしょう。

 

表題のことを触れて無かったですね。

わたしは宙組の、フェニックス宝塚 というショーが最近では一番好きな演目です。(楽曲はパッショネイトが一番いいですね。) 自由に生きたいと思います。

孤独だっていいじゃない 自分が熱く燃えていれば

 

で、フェニックスではないですが、事件が起きてしまった以上、わたし個人では歌劇団には以下のことをやってもらいたいです。スポンサー、出資者などの意向もあり難しい事もあると思いますが誰か参考意見にしていただければ幸いです。

・一定期間か無期限で宙組は解散・組織再編成をする。

・組織なのだからとりあえず組織のトップは責任を取って謝る、それが仕事。

・団員にストレスがたまらないように待遇の改善などを行う。誰かのために何かを我慢はやめる。

・願書の有料販売をやめる。親の資産を記入する欄をなくす。(これが問題を難しくしている気がする)

あと、個人の要望で、

・劇場内での飲食禁止の撤廃

・当日券の復活

をやってもらいたいですね。

わたしはお金が自由に出ないので太いファンではないかもしれませんが、今後宝塚の人気が無くなり、客席がガラガラになりましたらフラリと当日券で入りまして、『想像以上に楽しめた』と言ってあげられる真のファンとなりましょう。

 そこからフェニックスのような新星が出てくる事を期待したいのですが、今のご時勢では難しいでしょうか。

 

 今のご時勢、どの業種も大変ですががんばってゆきましょう。

 もしここまで読んでいただけた人がいましたらありがとうございました。