岩手県一のモデルちゃんでっす。
さて、旅の舞台は(今度は)県の南端、一関市。
(何度も通過しつづけ、)ついに降り立ちました^^
新幹線と東北本線の駅なので、それなりの規模。
ここ一ノ関は、遠く離れているものの仙台藩・伊達家の所領北端に位置し、
戦国末期に伊達政宗が手中に収めてから幕末まで伊達領なのだ。
一ノ関といえば~伊達兵部(宗勝)
藩祖・政宗の実子(十男)にして、兄の2代・忠宗の死去、甥の3代・綱宗が隠居を
強いられた後に、2歳の幼君(綱村)の後見役として藩内に絶大な権力を持ったお人だ。
伊達家家中では一家臣として、藩内に定められた要害の一つ(一ノ関要害)を守る
立場なのだが、幕府からは3万石の独立した大名(内分分知)と認められた身分でした。
釣山公園がかつての一ノ関要害(一関城)跡。
もぅここまで書けば、『樅ノ木は残った』紀行なワケで。
過去の自記事を紐解けば・・・(割愛^^)
市民公園となっている城址は、桜の季節はイイでしょうねぇ
修復された井戸跡や、曲輪跡と思われる遺構が要害を偲ばせる。
頂部は削平された千畳敷(本丸)と呼ばれる平地で、小さなお社が。
刃傷事件となった伊達騒動により、責を問われて伊達兵部一族は廃され、
もぅ一方の“後見役”であった田村右京太夫家が後に一ノ関へ。
田村神社は田村家累々を祀る。
また、伊達家中となったものの、田村家の旧領・三春より滝桜の孫桜が
側に植えられていた。
その名も、『愛姫』
政宗に正室として嫁いだ田村家の姫の名だ。
大河『独眼竜・・・』何某では桜田淳子でしたな。
α7Ⅲ+Voigtlander NOKTON 40mm F1.2 Aspherical
戦国の要害地ゆえ、眺望抜群。
統治者の歴史も、また激動そのものなのでした。
【後編】へ続く