洲本城城[後編]

この天守、いくら史実に基づいてない“模擬”だからって、ザンシン!

何にでも一番ってあるもので、模擬天守として最古(昭和3年!)なのだとか。

 

まぁ、この天守をして“お城”と呼ぶのはいい加減にしてもらいたいワケだが、

往時の洲本城には、小天守を連結した4層の天守が建っていた。

島の、山上の、天守台石垣の上に。

なので、相当な威容だったと想像できる^^

さて、その天守台・石垣からの絶景は『洲本十景』に数えられるもの。

これはもぅ、淡路島全体が見渡せるのでは!?と思えるほど。

 

例の天守は、ちょこっと高い大天守の跡に。

展望台としても役目を終えている。

今では文化財の上に模擬を建てられなくなったので、このモダンなデザインは

ある意味、貴重かも。

天気がよく申し分なかったが、何せ風が強い。

トンビも、真っ逆さまに。。。デザイア。

(最後にして機材関係を・・・)

この旅、広角から望遠まで必要になる事が容易に想像できたので、

一体型のズーム機カメラで一本勝負。

搦手(裏門)側。

荒々しい丘陵面で、かつてはこちらが大手(正門)だったと。

 

阿波国で下剋上を成した三好氏は、淡路を足掛かりに畿内への進出を狙いましたが、

逆に織田家織田信長により追われ、秀吉豊臣秀吉の四国征伐では洲本を拠点とします。

秀吉麾下の仙谷や脇坂などが城主となり、城郭は整備されて行きます。

現在の遺構まで整備したのは脇坂時代だとされ、特徴的な『登り石垣』の遺構などは

他城に数例(伊予松山、彦根、竹田、米子)しかない希少なもの。

この洲本でコンプリートでっすチョキ

搦手~南の丸~東の丸あし

 

このあわ(阿波)/あわ(淡路)旅を数年越しで達成させて、

城郭探訪[完]は46都道府県となった。

最後の県は、あそこ!

旅は続きますDASH!DASH!