(また、数日空いてしまいましたが^^;)
トヨタAqua
で走り出して、霧島市は国分で寄り道とする。
ここには、かつて舞鶴城とも呼ばれた国分の城跡(屋形)がある。
島津氏の城郭は、どこも古風な形式が特徴だけど、ここも鹿児島城の様に
背後に“詰めの城”を持つ城館スタイル。
復元遺構『朱門』
戦国も終盤、宗家の当主だった島津義久
によって築城された。
“鎌倉以来”という超名門、島津氏の勢力は南九州にとどまらず、
日向国で長く争った伊東氏を破り、龍造寺氏も下すと、大友宗麟も追い詰め、
九州統一にあと一歩まで迫ったが。。。
これを阻んだのが、日が昇る勢いの秀吉
で、次々と大軍を送り込むと
あっという間に島津氏を圧倒、本領である薩摩へと迫った。
主郭跡は小学校敷地なんだなっ![]()
(入れもせず、覗くことさえこのご時世では。。。)
隣接の高校敷地、これは発掘か!?
豊臣政権に下った島津氏は、本領(薩摩・大隅)の両国は安堵されるが
当主だった義久が外される格好になり弟の義弘が遇される。
その義弘も、後に関ケ原
に敗れ(有名な“敵中突破”して生還)、隠居する身となる。
ここに至っても、薩摩・大隅の2ケ国領有は保たれ薩摩藩が確立するが、夢に見た
九州統一は遂に果たされることは無かった。
広大な領土を支配するため、島津氏は外城制と呼ばれる地方システムを
敷いていた。
*仙台藩の要害(重臣たちに重要地を支配させた)に当たるのかと思ったら、
軍事的なニュアンスが少し違う様だった。
この国分はその例外で、両国の中心に位置するためか鹿児島の本藩が
直接支配したそうだ。







