後編・・・・。
前橋城は、厩橋城(うまやばし)という名でありんした^^
だから、謙信の時も、信長の時も、家康の時だって厩橋なのだ。
関東の名城と呼ばれながら、今ではその遺構は僅か。
旧城地に見られる、立派な土塁の他にはこの門の石垣が出土しているくらい。
逃さず見に行きました^^
(前編地図の⑤⑥でっす)
区画整理のために僅かに移動されているそうですが、ほぼこの場所だとか。
ほぅら、厩橋城とある。
厩橋・・・といえば“厩橋公”と呼ばれた御仁があった。
前橋藩主にして幕府の大老となる酒井忠清である。
以前に『樅ノ木は残った』を紹介したが、悪の権化のように描かれた彼の居城だ。
ただ、幕閣ともなれば江戸に在府し続ける生活であり、ほぼ領国にはいなかったのだ。
譜代の筆頭と呼ばれたその酒井家は、後に姫路へと転封されます。
さすがは譜代の土地。城地には東照宮だ。
酒井家の後をうけた松平氏は、居城を川越へ移すことになる。
(坂東太郎こと)利根川の氾濫により、酒井家時代からすでに甚大な被害を
被っており、それは城内に及んでいてとても城の復興を果たせる状態でなくなった。
名家×名城が揃った厩橋(前橋)は、こうして放棄された。
(*代官が置かれ統治)
これには続きがあって、幕末に利根川治水が進み、川越から再び移転・復興された^^
現代、その跡地(公園)に屯っていたのは、みーんなポケモン・・・・
『ぐんまちゃん』もGO!?
【続きまっす】