どーも、どーも^^
湯河原の親戚宅 を発ち、真鶴を小田原方面へ。
海岸道路を走っていると、小田原市街の中に小さく天守が見えてきました
さらに接近!(しかしこれ以上は。。。)
小田原城は以前に行ったことがある(以降に復元されたものも有りますが)ので、今回は
その手前、早川の駅近くから山を上がっていきます
見晴らしが良くて、天守がもっと近くに!
ビッシリと埋まった駐車場に到着。
一応、市営(無料)なのかな~? それとも、あのお店と・・・
川島なお美のダンナ、有名パティシエのヨロイヅカ氏経営の一夜城店
が昨秋オープンしたのを
TBSの某番組で見ていた。
僕が決して、決して希望したんじゃなく、家族に引っ張り込まれた^^
夏らしい『石垣のパイン』というケーキ。美味しゅうござった
ケーキ以外にも、この店名からも分かる僕の好物がありますよ~
1590年、日本の西半分を手にした秀吉は、関東の北条氏征伐へと動きました。
その際、自身の本陣として築かせたのが石垣山城(図中の左下)です。
実際には3ヶ月近く掛けて築かれたものの、敵兵に見つからないように工程をすすめて
仕上がった所で一度に見せつけるという演出をしたという事から、一夜城とも呼ばれます。
この他、関東では初めての総石垣づくりの城という事でも注目でっす~
あまりに現代的なヨロイヅカ・ファームの真向いに、野趣あふれる雰囲気の公園。
・・・と思ったら、けっこう整備された公園だったり、崩れそうな石垣がそのままだったり。
やっぱり石垣の石材は、あちこちに残されています。
案内標識は、秀吉の千成瓢箪。
注目度の高かったひとつ、井戸曲輪はその名が示すとおりの井戸の跡がある。
すり鉢状の底の部分がそれだ。
重要な水の手を守るため、周囲は石垣が高く積み上げられた。
二ノ丸の先には、北に走る箱根裏街道・箱根登山鉄道を見渡せる展望台があった。
この谷あいを左へ向かえば、いわゆる箱根だ。
続いては、いよいよ本丸。
この城の本丸は標高約250mにあり、二ノ丸や西曲輪等と同様に平らに整地されている。
本丸の西側には、モコッとした天守台跡も残されているが、こうして人が登るので削れて
しまっているのが現状。
公園化されている(ヨロイズカ効果で?)ので、訪れる人も多いし案内板なども多い。
ここ本丸にも、見晴らしのいい物見台があった。
小田原城・天守が見える!と書いてあるが。。。木々が茂って、ゼンゼン見えん!!
僕が一人でネバっていると、家族は先を下りて行ってしまった。(いつもの事だが)
この城の石垣で最も目立っているのは、登城口にあたる南曲輪の隅部分。
豪快に崩れ始めている^^;
大丈夫だろうか?この公園(史跡)は。。。。
謙信でさえ落とせなかった小田原城を降伏させた秀吉。
この時期、奥州の各勢力への仕置きも済ませ、天下人となった。
江戸期の初め、徳川の江戸城築城にあたり、一部の石材はこの山から切り出されたらしぃ。
次回【宿へ向かう途中・・・ん、それって途中?】
明日は試合の予定なのですが・・・
ハクション!(くしゃみ)の瞬間ギックリ腰になったのが2,3日前のこと。
間に合うのかぁ~!?