松風颯々の声・・・
今回は、梅雨の間隙を狙って、近場の城攻め^^
行き先は、富山から北西へ。
能登半島は七尾市の山城だ。(七尾城は戦国を代表する山城でっす)
長く能登畠山氏の居城として堅牢さを誇った七尾城。
城主の畠山家は、室町幕府の管領職にあった畠山氏の庶流。
最盛期に4ヶ国を数えた守護職のうち、能登国を引き継いだのが能登畠山氏の始まりだ。
いわば『オジさんはヒルズ族。実家の親父は地主だし俺は高級マンション暮らし。』みたいな^^;
中世らしぃー山城。
険しい山中の峰々に築かれた砦は、防御力こそ命というスタイル。
戦国期以降、徐々に増強されたらしぃ。
では、さっそく
山上までは車で登れまして(もちろん徒歩も可)、駐車場からは城跡も近く。
『本丸へ』という遊歩道は、チップが敷き詰められ歩きやす~い^^
さすがは国指定の史跡。
その保存状態だけでなく、整備も良いです。
さっそく到着するのは、杉並木に囲まれた調度丸。
足元にはわずかに石塁(石垣)が残り、背後には三段の石垣!
自然石を野面に積んでます。こりゃ、たまら~ん
この上段(遊佐屋敷跡/桜馬場跡)を左へ登ると・・・・
最上段部は本丸跡だ。
ここまで石垣がふんだんに使われていて、往時の畠山家の財力がうかがえる。
標高300mに位置する本丸からは、七尾の市街・七尾湾も一望のもと。
本丸から桜馬場へと戻る道。。。
ここからは徐々に下りつつ、山の尾根伝いに設けられた各郭を巡る。
再び石垣が積まれる二ノ丸。
木々が茂りすぎて、見通しが効かない^^;
深い堀切によって本丸・二ノ丸とは分断されている三ノ丸へは、急斜面を下るのだ
のっぺりと広い三ノ丸に続いて、安寧寺跡(郭)。
七尾城攻防での戦没者を弔う碑がある。
この辺りからは市街の眺望が効いた
ヤマアジサイ・・・名札付だったので。
この石段を上ると、主郭を一周し終え、再びの調度丸に出た。
やはり北に向いた石垣群は堅牢かつ見事!!
能登・七尾を拠点に、越中富山の歴史にも多く関わった能登畠山氏。
軍事的に強大であっただけでなく、文化・経済的にも繁栄したそぅだ。
170年近くにわたりその勢力を誇るも、家内の争いに上杉氏らの介入を許す。
越中を手中に収めつつあった上杉謙信は、難攻するも城内に内応者を作ることで攻略に成功。
1577年、七尾城は上杉の手に落ち、能登畠山氏は滅亡。
謙信は余勢をかって能登各地の攻略を進め、柴田勝家率いる織田勢と手取川で戦うも、これにも完勝した。晩年のこの人の強さには舌を巻く。
織田勢は謙信の死後、上杉家が内乱状態になったのを突いて前田利家が能登を、佐々成政が
越中を平定にかかった。
能登の領主となった前田は、拠点を山上の七尾城から(現在も市街地に存在する)小丸山城へと移した。
さらに一向宗の尾山御坊の跡地であった金沢城へと移る。
落城から数年後のことだった。
本丸の標高を凌ぐ展望台(標高380m)からは、真っ平らな本丸と段状の石垣がよく見えた。
七尾近辺はドライブによく来てたんだが、通過することが多かった。
先述の小丸山も未踏の城跡である。
(あまり遺構はないし、そのままトンネルをくぐってしまうのだ^^;)
この日は、和倉温泉帰りのバスツアー客にまじって、“海の駅”的な施設で昼食とした。
寿司屋のランチセットを一枚ペロリ
食後には、特産の中島菜のソフトクリームで〆でっす。
(錨の前で撮ろうとする間に、溶けるわ溶けるわ。。。。)