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停車場遍路の鉄道雑記帳(副)

画像・動画を含む鉄道趣味のブログです。ときどき戯言を書いてます。ー[2013年2月9日以前の記事はほとんどの画像が表示されません]ー

まず「天皇は国家元首である」とはっきり認識している日本人がどれだけいるのか。国際親善や国事行為などから「なんとなくそれっぽい」と思ってるに過ぎないのでは。


例えばイギリス国王は国家元首である。しかもイギリスだけでなく(国旗にユニオンジャックが入ってる)英連邦のすべての国の元首だ。でも、一切の政治権力は持ってない。余談だが紅茶を王室ブランドで売るなど経済活動はできるらしい。

 

そもそも日本国憲法で「象徴」という表現を使ってしまったのが間違いだが、これは「イギリス王国の象徴である王冠をいただくものが国王である」というGHQの認識から草案に書かれたのが原因らしい。

 

当時は(マッカーサーが「天皇は残す」と決めていたとはいえ)憲法上で天皇が残せるかどうかの瀬戸際でこの草案に日本側が余計なツッコミを入れたくなかったのは分かる。「確かに戦前はおろか(律令制が始まった)奈良時代ぐらいから政治的実権は無いけどなあ。」と納得したのは理解できる。後醍醐天皇みたいに取り戻そうとしたことはあるけど。

 

ここで王室がなくなった国のケースを考える。やっぱりフランスだろう。フランス王国が革命でフランス共和国になった。つまり、別の国になったわけだ。本邦も皇室が途切れれば別の国になる。つまり皇室と日本国は一体不可分である。長々と書いたがこの重要な点が一つ。

 

もう一つ重要なのが「天皇は祭祀王である」ということ。祭祀王はキリスト教で言うローマ法王みたいなもんだ。初もうでをはじめお宮参りなど神道が生活に根付いてるので宗教とすら認識してないが、その神道の祭祀王が天皇である。言うまでもないが立ち位置は神様ではなく神主の側である。

 

で、ようやく本題に入って「皇室典範とは」だが、明治時代に定められた。

 

大政奉還により幕府から朝廷に政治権力が戻ったのは一時的なものだった。自由民権運動により日本は民主化され明治23年に帝国憲法が施行された。ただ、皇室に関しては別枠で「慣習的に続けてきた決まり事」を明文化したものが皇室典範である。

 

その際、女性の皇位継承はあえてなくしたらしい。

 

女性天皇は(代替わりでは10代だが)8名居たが、時系列的に後半の4人は一生独身の運命を背負わされている。皇室に他から男の血が混じればそれで王朝交代になるからだ。なお前半の4人は全て夫が天皇または皇太子で(女帝本人も父親は皇族だからそこそこ近親婚なんだけど)夫が亡くなって以後に天皇になっていて即位後は再婚してない。

 

近代日本でそのような過酷な宿命を背負わせるわけにはいかないとの判断だと思う。

 

 

さて、今般の改正の目的は「将来的に悠仁殿下が即位する時点で皇族が少なすぎること」の対策である。

 

結果として「旧宮家から養子」という項目が追加された。宮家を廃止したのはGHQだからそれまでは宮家だった。宮家の存在目的は「皇統の危機に継承者を輩出する」ことである。徳川御三家みたいなものだ。本来なら1952年に日本が主権を回復したと同時に宮家を復活しておくべきところを政府がずっと怠っていた。

 

大原則として「父親、そのまた父親と遡って神武天皇に行きつく」者すべてに皇位継承権はある(ただ明治以後は上述のとおり女性は除外となった)。だから「宮家の血が離れすぎてる」とかはどうでもいいことである。

 

ともあれ、タイミング的にギリギリで盛り込めて良かった。悠仁殿下以降(もちろん私は生きてないが)の皇統の懸念がほぼなくなったから目出度い。皇統が続くということは日本という国家も続くのだ。

 

ただ、養子案はハードルが高いとは思ってた。その高いハードルをクリアするためにこねくり回して(婚姻可能な前提で)女性宮家を残すとしたのは道鏡事件レベルのリスクをはらむと思っている。皇籍離脱後も黒田清子さまのように伊勢神宮の祭主(という重要任務)を務めてるケースはあるから公務に関しては宮家にこだわる必要はないのだが。

 

高市政権になってメシウマなことが立て続けに起きるが、皇室消滅をもくろむ左派との戦いの上では本件は1:1のイーブンなので「うまい飯食おう」とはならない。でも今回右派が取った1ポイントは大きいのである。