大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。
読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。
※2024年8月7日19:46にタイトルを一部変更しました
③定子の葬送と残された和歌
長保二年十二月二十日、行成が一条天皇の御前へ参じると一条天皇からは「仰せらるる事、甚だ多し。中心(心中)、忍び難き者なり」という状態で、詳細は記されていないものの、依然として傷心のままだったことが分かります。
翌二十一日にようやく定子の遺令が奏上され、一条天皇は葬送料を朝廷から送ることを命じます。二十三日にその遺骸が六波羅蜜寺に移され、二十七日に葬送が行われました。『栄花物語』「とりべ野」には、雪の夜に鳥辺野の南に設けられた御霊屋に安置されたとされています。
同じく『栄花物語』「とりべ野」には、伊周が見つけたという、定子が御帳台の紐に結びつけておいたらしい和歌三首が載っています。(『後拾遺和歌集』にも採用)
※和歌の現代語訳は私訳※
一つは一条天皇に宛てたもの。
夜もすがら 契りしことを 忘れずは
恋ひむ涙の色ぞゆかしき
ー一晩中契りを交わしたことをお忘れでないのなら(私が死んだ後に)恋しくて(あなた=一条天皇が)流す涙のその色を(私は)知りたいのです
次に家族に宛てたもの。
知る人もなき別れ路に
今はとて
心細くも急ぎたつかな
ー知っている人が誰もいない別れ路=死出の旅に出るのは、急なことで、心細いものです
最後に埋葬について。
煙とも 雲ともならぬ 身なりとも
草葉の露を それとながめよ
ー煙とも、雲ともならない(私の)身ですが、草葉に置かれた露を私だと思って眺めてください
この「煙とも雲ともならぬ身」というのは火葬ではないこと、つまり土葬を希望していることを表しています。
葬送に際して、天皇はその位の高さと穢れを避けるため、野辺送りに参加することができません。希望通り土葬としたために煙を見ることもできないと『栄花物語』は語ります。その無念を表したかのような一条天皇の返歌が残されています。
野辺までに 心ばかりは通へども
わが行幸とも知らずやあるらむ
ー(葬送の地である)鳥辺野まで(私の)心だけが(あなた=定子を慕って)通っている(=野辺送りしている)けれども、私の(この深雪=みゆきの中の)行幸(=みゆき)であると(あなたは)知らないでいるのだろうか