大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第八回(1)-①道隆への関白委譲 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。



 

第八回 中関白家と藤原道長 

 

(1)道隆の政権

①道隆への関白委譲

永祚二年(十一月に正暦に改元)五月四日、その年の正月に一条天皇が元服したことにより、兼家は摂政を辞して関白となります。

しかし八日になって病が重くなったため出家、内大臣の道隆に関白を譲ります。摂関は太政大臣や左右大臣よりも上位であるため、左大臣の源雅信、右大臣の為光を越えて道隆は実権を握ることになったのですびっくり

二十六日に道隆は関白ではなく摂政に改められます。これは〈元服している=大人に見なされる〉とは言え、いまだに十一歳の一条天皇がすべてを把握し決断することは難しいと考えた可能性が高く、この後正暦四年に関白に改められるまで道隆は摂政でい続けます。この例は後の准摂政(十五歳未満の天皇に置かれる)に繋がります。

七月二日、藤原兼家は六十二歳でその生涯を終えました。二人の兄たちと実力者たちに囲まれながらも勝ち抜いた兼家でしたが、実権を握って四年でこの世を去ることになりましたショボーン

六月から一条天皇は病ゲホゲホが重く(温帯マラリアとみられる)八月にようやく平癒しますが、その直後には赤痢に罹るなど、兼家という重しを失った一条朝への不安は尽きませんでした。

そんな中で政権運営をすることになった道隆は、喪中にも関わらず、女御である娘の定子の立后を画策します。


右矢印(1)ー②に続きます爆笑