大河ドラマ『光る君へ』“勝手に”解説~第五回(1)花山天皇の即位と藤原頼忠 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

 大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。



第五回 花山朝の評価 

 

『光る君へ』の中で、初回から異彩を放っていたのが、本郷奏多さん演じる花山天皇ですよね爆笑

いや~・・・強烈ガーン

花山天皇の治世は僅か二年足らず!で残っている資料も少なく、その僅かな資料のほとんどに何ともまぁガーンなエピソードばかりで、とっても、とーっても評価が難しいことで平安時代大好き民の界隈では知られています。

『光る君へ』第四回の中でも「噂を流して~」みたいなことを言ってましたよね?何しろこの後に一条天皇の血筋(円融皇統)が続くので、冷泉ー花山のラインの良い話は残りづらいというかショック(なので評価が難しいタラー

極力冷静にいきたいと思っています筋肉

 

(1)花山天皇の即位と藤原頼忠

984年(永観二年)八月、円融天皇は在位15年、26歳の若さで退位。十月に十七歳の皇太子・師貞親王が即位します(花山天皇)花山天皇は冷泉天皇の第一皇子で、母は藤原伊尹(藤原兼家の長兄)娘・懐子。968年(安和元年)に生まれ、翌年には立太子します。伊尹は円融天皇の摂政を務めていますが、これは師貞誕生によるものが大きいとされています。

しかし第一回でも触れたように、伊尹は972年(天禄三年)に死去していたので円融天皇は譲位にあたり、頼忠に対して「引き続いて関白として政治を補佐」するよう命じます。しかし早々に頼忠は政務に就けなくなりました。これは花山天皇とその周辺(藤原義懐、藤原惟成)が頼忠を経ずに政を主導したためと言われています。『光る君へ』第四回の中で頼忠が「お上はやる気に満ちている」と花山天皇を評していましたが、こうしたことを踏まえての演出なのではと思います。

 

藤原頼忠は藤原実頼の二男。長兄が早くに亡くなったため嫡男として指名上差しされました。摂関家出身者には珍しく弁官(諸国等を管轄する事務方)を長く務めた人でもあり、中でも地方統制や財政に精通した、まさに実務型鉛筆でした。こうした部分が貴族層から信頼されていました。加えて父の実頼譲りの実直さとバランス感覚があり、兼家などひとクセある政治家とも渡り合い、円融天皇からも信頼された存在でした。(ただし、円融天皇自身は自らの力で主導したい思いもあってか、源雅信と兼家にも権力を分散していたフシがあります)

頼忠最大の弱点は天皇の外戚となれなかったことです。円融・花山両天皇に娘を入内させるものの、子どもは得られませんでした。そのため大臣となっても “ヨソの人” でしかなく、影響力は強くなかったのです。

『光る君へ』の頼忠は気弱で自信なさげな人物として描かれていますが、おそらく長年の気苦労がたまったのを表していたりするのかもしれません。大体ここまで頑張ってきたのに、新しい上司は慣例無視で親しい者の意見しか聞こうとしないもやもやとなったら、いい気持ちにはならないですよね〜えー『光る君へ』第四回や第五回を見返してみると、苦々し気な感じもあるのが良いなと思うのですが、どうでしょう?

 


右矢印(2)に続きますウインク