大河ドラマ『光る君へ』“勝手に”解説~第四回(2)大学寮 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。 



※第四回(1)からの続きです。



(2)大学寮

官僚としては低い位階からのスタートとなった為時でしたが、彼は今でいう東大にあたる「大学寮」の文章生出身で、優秀な人物として一目置かれる存在でした。

為時は大学寮に入って当時最も重んじられた「紀伝道」を得意とし、漢詩にも優れ、早くから逸材として名が轟きます。

紀伝道とは、ざっくり言うと中国の歴史や文学を学ぶ、1コースです。大学寮では他に儒学を学ぶ明経道、法律を学ぶ明法道算道(言わずと知れた算数サイコロ)がありました。このころは公文書を書くのは漢文ですし、手本とするのも中国の法律や書物です。外交(中国との関係)に通じることから、次第に紀伝道の重要度が増して⤴︎いきます。

今でも外国の方とお話をしていて、日本のアニメや映画の話題が出ると嬉しくなりますよね?昔からそういう知識を備えておくことは、有能である証だったのですね〜照れ

 

さて、「大学」「大学」と言っていますが、古代の日本の貴族層にとっての大学学校はどんなものだったのでしょうかうーん

その一端が分かるのが、なんと

源氏物語』なのです。

※参考文献にも挙げた『王朝の貴族』の「日記を書く人々」の中でも取り上げられていますウインク

21帖の「少女」(おとめ)では、光源氏の息子(通称・夕霧)の青春が描かれています。

序盤、元服した夕霧は位階を与えられるのですが、何とそれが「六位

母・葵の上の兄弟の内大臣(元の頭中将)の子息たちは五位なのにショボーンと言うか源氏の息子なのにガーン

当時の高官たちの子息は最低でも五位からスタートするのが普通でしたから、読んでいた人たちは現代の読者以上に仰天びっくりしたでしょうね…

戸惑う夕霧に光源氏は更に試練を課します。それが大学へ行け!!なのです。

まぁ、この理由がとっっても立派でね・・・

本当に光源氏が言ったんですか⁈ (๑•ૅㅁ•๑) ってくらいに

ここで少し長くなりますが、簡単に大学寮の仕組みをご紹介にやり

大学寮に入ると、学生(ガクショウ)となって寄宿舎で生活しながら各専門の先生から教えを受けます。そして当然ながら試験が待ち受けています。それも、国家試験です。

 

寮試(大学寮管轄、入学数か月後くらい)

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 擬文章生に昇格ニコニコ

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省試(式部省管轄、入学一年後くらい)

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~成績会議~鉛筆

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 文章生(定員20)昇格⇒任官

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 文章得業生

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 論文試験⇒任官

 

上に挙げたように、文章生の定員は20で、当然のように選に漏れる人間が出ます。何十年もかかってやっとの人の例もあります。また、建前上ではより専門性を極める文章得業生になることを求められてはいますが、文章生になるだけでも十分な教養を身につけている証になりますので、大体はここの成績会議を経て位階を授けられ、任官されるのを待ちます。

現代でいうなら、学士右矢印修士右矢印博士の流れですかねニコニコ

これを10代前半からやるんですよ。昔のこととはいえ大変ですアセアセ

さてお団子『源氏物語』の夕霧は、さすがに源氏の息子(皇族待遇)ということもあり、寄宿舎ではなく自邸で特別な家庭教師を付けてみっちり勉強。難なく寮試をパスOKして擬文章生になり、省試もクリア二重丸して無事文章生になって卒業証書五位が授けられるのです。

 

まあ、お話の中でのことなので σ(^_^;)

 

この光源氏の夕霧に対する姿勢は、為時と惟規との関係から着想を得たのではと言われています。

『光る君へ』の中ではふらふらくもりした感じに描かれていますが、惟規も立派な文章生出身者なのです。

元々「大学寮」は貧富の差は関係なく優秀な官吏を育てよう!という理念のもと設置された官僚養成機関でした。それが次第に貴族層が行くものになり、やがて上流貴族が固定され私設の教育機関を持つようになると、中下級貴族層が確実に官職につくためのものに変わっていきますうずまき『光る君へ』の中で道長・公任・斉信・行成が先生を招いて勉強していましたが、平安時代初期ころから上流貴族層はこのスタイルが主流になり、同時に専門の学問を担う家も固定され、次第に大学寮の重要性は低下右下矢印していきます。

もしかしたら、光源氏と夕霧のエピソードはそんな社会の雰囲気に対する痛烈な怒りや批判ダッシュだったのかもしれませんね。

 

右矢印(3)に続きますニコニコ