こちらは大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。
読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。
(2)円融天皇
『光る君へ』初回時に朝廷に君臨していたのは第64代天皇の円融天皇(959-991、在位:969-984、諱は守平)です。坂東巳之助さん、麗しかったですよね
この方は即位するまでが波乱のものでした。
円融天皇は、村上天皇と安子(藤原師輔娘)の間に生まれました。村上天皇と安子の間には、既に憲平親王(後の冷泉天皇、950-1011、在位:967-969)と為平親王(952-1010)がいました。
(1)でもご説明したように、冷泉天皇は元々心身に不安があり、村上天皇が重病となり譲位を考えた時には皇子がいませんでした。そのため皇太子(皇太弟)は二歳違いの為平と予想されていたのですが、何と安子所生の3番目である守平が立太子することになったのです
既に為平に娘を嫁がせていた源高明は急速に力を失っており、969年(安和二年)3月には安和の変が起きます。そしてこれにより高明は失脚、為平も出家してしまいます。
その年の8月、冷泉天皇は譲位。
前年に生まれた師貞親王を立太子させ、9月に守平親王が天皇となります。
ただし、冷泉天皇(冷泉院)はこのあとも長く生き、たくさんの子どもに恵まれました。
村上天皇とその周辺の不安は杞憂に終わった訳ですが、
そうなると今度は円融天皇の血筋が皇位に就けなくなる可能性が出てきました
「一代限り」の天皇になる可能性は、村上天皇や藤原北家にとっては予想通りのことです。
しかし、当の円融天皇からしてみれば、
自分の血筋を皇位に就けたい、
それが自分を正統たらしめるとなれば、尚更どうにかしたくなるでしょう。
この時は
村上ー冷泉
つまり、村上天皇の長男である冷泉天皇の子孫が皇位を継ぐのが正しい(正統)と当時の貴族社会では見做されていましたから、自分が繋ぎにすぎないと周囲に見られていることを感じていてもおかしくありません
円融天皇は、自分と、生まれてくるであろう子どもを支えてくれる後ろ盾を誰にするべきか、そのために誰の娘をキサキとして子どもを生ませるのか、という難しい選択を若くして迫られることになったのです。
(3)へ続きます