木挽町のあだ討ち | kazuのブログ

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トンと観なくなったテレビ時代劇。私は好きなんですがねぇ、今の若い人にはピンと来ないのかねぇ。そこへ登場した「木挽町のあだ討ち」。さすがは時代劇の東映です。なかなか凝っていらっしゃる。いわゆるチャンバラシーンはほとんどないのは残念ですが当時の時代背景から江戸の町民の暮らし、風俗、食文化までなかなかどうしてよく描かれてました。時代は文化七年(1810年)一月十六日、雪の降る夜。赤穂浪士の討ち入りが元禄十五年(1702年)十二月十四日だからもう既に討ち入りから100年以上が経った日の出来事です。芝居小屋が並ぶ江戸木挽町、まさに赤穂浪士討ち入りを描いた「仮名手本忠臣蔵」の千秋楽が幕を閉じ、芝居小屋からぞろぞろ出てきた客たちの前で...

「仇討ちだ!仇討ちだ!本物の仇討ちだ」

と、江戸っ子の威勢のいい声が雪の夜空に響き渡ります。白装束に身を包んだ女と見紛うばかりの美しき若武者の相手は江戸に巣食うならず者博徒!若武者は見事、父の仇を討つのですがと...ここからはまさに事件の真実を追うなぞ解き時代劇。見事な配役を揃えてなかなか面白い作品で御在りました。

文化七年一月十六日、雪が降る江戸木挽町。芝居小屋が並ぶそのその一角「森田座」では大人気作「仮名手本忠臣蔵」の千秋楽が大盛況のうちに幕が下り、芝居小屋から堪能した客たちが外に出てきたまさにその時、悪名高き江戸の博徒、作兵衛が赤い着物の女に手をかけようとした。すると着物の中から現れたのは白装束に身を包んだ、うら若き美少年。少年は声を上げる。

「我こそは美濃遠山藩士、伊納清左衛門が一子、菊之助!父の仇、博徒作兵衛、覚悟!」

江戸の民衆たちはいきり立つ、大衆の面前で菊之助は苦戦するも見事、父の仇を取り、作兵衛の首をぶらさげ江戸の闇夜へ消えていく。その後、この事件は「木挽町のあだ討ち」として江戸っ子たちの語り草になった。

それから一年半の月日が経ったある日、一人のどこかつかみどころのない浪人風の侍が木挽町にやって来た。名を加瀬総一郎と言う元美濃遠山藩の藩士であった。彼は森田座の前で呼び込みをしている木戸芸者の一八をつかまえ仇討ちのった夜のことを訪ねる。

「作兵衛をねんごろに弔ってやりたいのだが首がない、行方を知らんか」

彼は森田座の主、立作者の篠田金治に聞くのがいいと薦めたが生憎、金治は暫く江戸を離れているとのこと。総一郎は金治が帰ってくるまでここに居つくらしく、翌日から殺陣師の相良与三郎、元女形の衣装方、芳澤ほたる、小道具方の久蔵ら森田座の面々に仇討ちのことを聞いて回る。森田座の者たちはしつこく、抜け目のない総一郎を薄気味悪がったがどこか憎めず、人の懐に入ってくる総一郎についつい気を許してしまう。そうこうしているうちに主の篠田金治が帰って来た。総一郎は金治と森田座の面々のまえで驚くべき真実を話す。

 

配役が見事でした。芝居小屋の主を演じた渡辺謙の貫禄は言うに及ばす、主演の柄本佑は金田一耕助風のひょうひょうとした雰囲気で周りの人を取り込むところがいい、北村一輝はこれまたアクの強さで絶対悪いやろと言うような雰囲気で観ている者を煙に巻く。江戸幕府が開かれてから100年、天下泰平の世になり、「武士道は何処へ行った!」等と一部の武骨者がの賜り、町民たちが刺激を求めていたまさに元禄の時代、赤穂浪士の討ち入りは起こりました。それがやんやの大喝采となり今に至るまで「忠臣蔵」は日本人の心の拠り所となっています。「仇討ち」って好きですもんね日本人。だから100年経ったこの物語の時代背景はまたもや元禄時代ような刺激を求めていた時代じゃなかったんでしょうか?それでいて武士と言うのは家名断絶が一大事、そのためにはわが命を投げ打っても守らねばならないもの。太平の世でありながらも武士は武士であり続けなければならない、本来の武士の本分である戦が無くともです。そのためにやりたくない仇討ちをせねばならない、取りたくない首を取らねばならない、そんな無駄に命を捨てる武士を見るに見かねた江戸っ子の心意気って言うのがこの物語、それを時にユーモアを散りばめて描いているところが好印象な作品です。