フランス全土を震撼させた、神父による児童性的虐待事件。まあ、神父と言えども人の子です。中にはこんな人も出てきます。日本にだって昔から「生臭坊主」なんて言葉もあるくらい。聖職者と言うのは修行、修行で悟りを開いたかと思うと逆にそれがストレスとなって違う方向へ走っちゃう。まま、考えられることです。本作「グレース・オブ・ゴット 告発の時」は1970年代から1990年代にかけて被害にあった元児童たちが30年の時を経てようやくの思いで声を上げ始めた姿の紆余曲折を描いた作品です。
アレクサンドルはフランス、リヨンの銀行やテレビ局で働く、ビジネスマン。彼は素晴らしい妻と5人の子供たちに恵まれ、なに不自由ない幸せな家庭を築いていたが少年時代、教区の司祭だったブレア神父に性的虐待を受けたという傷があった。そして30年たった今、なんといまだにそのブレア神父が教区を転々としながら子供たちに聖書を教えていることを知り、「子供たちのため」教会に対して告発をする。
フランスのカトリック教会に訴えたアレクサンドラは年老いたブレア神父と教会の関係者を交えた三者の面会を果たす。だがブレアは罪を認めたものの社会的な制裁が恐ろしくて公にはできないという。自らの保身しか考えていないのだ。アレクサンドラはフランス・カトリック教会の権力者バルバラン枢機卿に直接、訴え出る。だがバルバランは彼の身上に理解を示しつつも、まさに「臭いものには蓋」で公にしようとはしない。たまりかねたアレクサンドラは遂に刑事告訴に踏み切る。
警察の捜査が始まる。警察は被害の経験を持つフランソワと言う中年男性に聞き取りに向かう。彼も家庭を持つよき夫であり父親であったが幼児期の闇に蓋をしたままだった。だが、だんだんと怒りがよみがえり、彼自身、同じ被害者を探し回り、ついにはアレクサンドラとも手を携え被害者の会を立ち上げることになる。
そしてその被害者の会が発足するのを知り、衝撃を受ける人物がいた。アレクサンドラやフランソワと同じくプレア神父の被害者になり、今もその心の闇から立ち直れないエマニュエルである。母と二人暮らしの彼は性的倒錯者であり恋人はいるもののまともに女性を愛することができないのである。三者三様の戦いが始まる...。
物語はオムニバス形式のように3人の中年男性の苦悩を描いています。一人は裕福な家庭を築きながらも自分の両親は敬虔なクリスチャンであるため息子の行動に否定的。「なぜ事を荒立てるのだ」と...まぁ子供がとんでもない目にあって苦しんでいるのに人の目ばかりを気にする。こんな親に育てられてるから、「自分の子供だけには」と思うもんです。もう一人も比較的裕福な生活を送っています。こちらの年老いた両親は傷ついた息子を気遣いますがそのため兄弟を蔑ろにしてしまう。兄弟の仲が崩壊してるというわけです。最後の一人は悲惨です。母一人、子一人で生活してます。それほど裕福じゃない。彼は恋人がいるものの恋愛に障害が生じて結婚できないでいる。この手の話になると発作を起こす。完全に恋愛不感症です。
この裁判、今だに続いているんですね。この作品が公開されるとき裁判途中ということもあって実在のブレア神父が差し止めの裁判を起こしたそうです。
お坊さんも神父も、人の心がどうすれば安らかになるか導く為の人々。こういうことがあり得ようのない人種であり、会ってはいけない仕事なのです。でもこう言うことがたま―に起こります。修行と言うのはストレスの塊のようなものです。それを跳ね返す強靭な精神力がないといけません。それはある種アスリートたちが強靭な肉体を作り上げるのに似ており、それ以上かもしれません。私などのように俗世の泥にまみれた欲望と煩悩の塊のような人間にはとても真似できません。