沖縄が返還されたのが1972年5月15日。自分は当時9歳やから小学校4年生やったかな?今、思えば朝、全校生徒の校庭での朝礼で、なんか校長先生が言っとったかなーって程度でした。9歳じゃことの重要性がわからんわな。終戦後のアメリカの占領地であった沖縄から返還までの20年間を描いた作品がこれ、「宝島」。
一抹の違和感を感じるものの、わかります、ほんとわかります。自分なんかが安易に「わかります」なんてことは言ったらだめなんかもしれんけど日本人でありながらここは異国の領土。「日米地位協定」。これがある限り殺人事件が起きても、強姦事件が起きても、軍用機の落下で子供たちが大勢死んでも、ひき逃げ事件が起きても、沖縄の警察は米国軍人に対しては何もできない。憲兵登場でそそくさと皆引き上げてしまう。この怒り、この悔しさ、この無力感、一体だれが癒してくれる?「戦争に負けたから、それが一番悪い」それで片づけられるか?しかし密約がどうの、裏取引がどうのって言ったってアメリカは負けた日本に沖縄を返してくれたんや。負けもしてへんのに北方領土を掠め取ってしまう火事場泥棒のソ連・ロシアや、大戦から80年もたったこの時代に屁理屈をつけて他国の領土をふんだくろうとする強盗国家、中国とはやっぱり違うんです。決して日本は沖縄を捨石にはしてませんよ。最後の希望「大和」も向かった、特攻隊の若者たちも沖縄を救おうとして散っていきました。ただ戦後、経済大国を作ることのみに力を費やしてしまった戦後政府のやり方があまりにもお粗末だったと自分は思います。そんな複雑な思いを胸に上映時間3時間、沖縄の方々の思いを胸に受け止めさせて頂いたつもりです。
1952年沖縄はまだアメリカ統治下にあった。その戦後の沖縄で「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちがいた。彼らは駐留米軍から物資を奪い、地元の生活困窮者たちに分け与えていた。オン、親友のグスク、オンの弟レイも「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちだった。オンをリーダーに彼らはまさに地元の英雄だった。そして、オンの恋人ヤマコも加え4人は子供の頃からいつも一緒だった。だがある日、彼らは大きな「戦果」を挙げようと米軍基地襲撃と言う大胆な攻撃を仕掛けたが米軍の追撃に会い、散り散りになった。グスクは辛うじて逃れたもののレイは捕まり、オンはその日以来、行方不明になってしまった。
6年後、グスクはオンの行方を探そうと刑事になり、レイはオンの情報収集のため刑務所を出た後、ヤクザなった。そしてヤマコは働きながら必死に勉強をし教師になった。それは「いつか学校をたててやる」と言ったオンが夢を叶えたら、そこで「教師になる」と言う約束を果たすため...。3人はオンに対する思いをそれぞれ胸に抱きながら別々の道を歩き始めた。
ある日、女性の変死体が発見されグスクが捜査に当たる。米兵の仕業と分かったが当時、米兵が殺人事件や強姦事件を起こしてもすぐに憲兵が駆けつけ連れ帰ってしまう。今回もまた同じだった。容疑者を捕らえ連行しようとしたがたちまちのうちに憲兵が連れ帰ってしまう。日本の警察はなすすべもなかった。グスクはこのやるせなさにやり場のない怒りを覚えたがどうすることも出来ない。だがこの時、米軍情報部の高官アーヴィンと本土から来た政府通訳の小松と言う2人と知り合う。彼らはグスクに地元の情報を提供するよう持ちかけた。グスクはオンに関する情報と交換することを条件に心ならずも彼らの要求を呑む。この頃、覆面を被った一団が沖縄空手を武器に米兵たちを襲撃すると言う事件が多発する。黒幕にオンがいるのではないかと疑念が生じ、グスクの身辺でも正体不明の男たちがうろつき始める。時を同じくしてレイもヤクザの仲間から姿を消し行方が分からなくなる。そんな不穏な情勢の中、ヤマコが務める小学校に米軍戦闘機が墜落。ヤマコは辛うじて逃げ延びたものの彼女の目の前で11名の子供たちの命が奪われる。パイロットは墜落直前にパラシュートで脱出。何の御咎めもなかった。ヤマコはこの事件以降、祖国返還運動に傾倒する。沖縄市民の怒りは限界に近付きつつあった。
1970年12月20日。コザの繁華街でひき逃げをしようとした米兵の車を住民たちが取り囲んだのをきっかけに、ついに暴動が発生する。燃え上がるコザの街。そして、この騒乱の夜、オンが行方不明になった真実が解き明かされることになる。
物語は姿を消した仲間の行方を親友、恋人、弟がそれぞれの視点で追うことが物語の基軸になっているんですが、当時を取り巻く彼らの環境、当時の時代背景、「戦果アギヤー」「小学校米軍機墜落事故」「米軍VXガス放出事故」「コザ暴動」など史実、真実を交え事細かに描かれています。だからその分、3時間と言う対策になっているわけですが、この3時間を長いと思われる方も多いと思います。確かに長いとは自分も思いますがやはりセリフの大半は沖縄方言。回想シーンが多いのもこの映画の特徴。この回想シーンを画像と言う「絵」で見せて貰わないとセリフだけで事の起こりを語られても何が何かわからんところがあるわけです。特に最後の結末はそう。絵で見せて貰わないと理解が出来ひんたと思います。だからそれを「なるほど、なるほど」と観ていたからさほど苦痛はなかったですね。やっぱり観終わった後は「フゥーッ」てなったけど、それを「無駄な時間」とは思わんかったなぁ。
で、やっぱり観ていてつらい!確かに地理上、沖縄は最前戦に立たされてしまう。そして戦後も占領軍アメリカの兵士たちにはけ口にされてしまう。朝鮮戦争では半島が南北分断と言う形で半ば決着(これはまだ「休戦」やからね。「終戦」やない)してしまったから兵隊さんたちもさほど荒れてはなかったけど、ベトナム戦争は完全にアメリカの敗北。沖縄を拠点にベトナムへ渡った大勢の若者が死んでいきました。いつ何が飛び出してくるかわからないジャングルの恐怖から逃れるため最前戦の兵士たちは酒だけではおぼつかず麻薬で廃人同然になったりPTSD(心的外傷後ストレス症)を発症して、帰国、あるいは沖縄へ戻って来ても、そのまま社会復帰できず一生を終えた人など枚挙に暇がありません。そのへんはこの映画でも語られていますよね。だから安全な沖縄で荒れる荒れる。それは聞いたことがあります。だからと言って地域住民に悪さをすると言うのは軍人の風上にも置けんのやけどね。
この作品で分かるように沖縄の人たちは横暴なアメリカだけでなく、日本政府にも大きな怒りを感じています。沖縄住民の前に立ち塞がる「日米地位協定」。この当時ほどではなくても今でもまだ米兵による傷害、暴行の類、またオスプレイの墜落事故が起きてます。古今東西、軍人のあるべき姿は末端の兵士まであってはならないことなんですが...。何を起こしても基地に逃げ込まれたら最後。手出しできない。ようするに憲兵が来る前に逮捕して留置所に彫り込んでしまえばええわけなんやけど。やっぱり自衛隊しかない日本を「守ってやってる」と言う傲慢さがあるんやな。沖縄は日本だけでなく西側諸国にとっても大事な要。米軍が駐留しているのも日本のためと言うより自国のためと言う方が強いんやけどな。とにかく憲法改正です。自国の民、領土は自分で守らないと。冒頭で言ったように、この物語の主人公たちが悲観しているように我々はは決して「捨石」にしたり「見捨てたり」はしていませんよ、と言いたいですね。まあ、今のアホ政府、バカ閣僚たちはそこまで考えてへんやろうけど...。
けどこれに踊らされてるのが今の沖縄県知事やろうね。よっぽどアメリカを怨んでる。この人の父は元米軍駐留兵。日本人のお母さんとの間で生まれたんやね。お父さんがアメリカに帰ったから行く行くはアメリカへと思ったんやろうね。だからデニーって名前を付けた。けど結局は沖縄にとどまった。とどのつまり捨てられたんやろうなあ。そこを中国に付け込まれた。あんまり勝手なことは言えんけど。けどそうだとしたら私情を県知事と言う仕事に持ち込んどると言うことです。たまったもんではない。
最後に本作を観終わってある映画作品のセリフを思い出しました。シスベスター・スタローン主演「ランボー」シリーズの第2作。ベトナムに置き去りにされた兵士を代弁してこう言います。
「俺たちが国を愛したように、国も俺たちを愛してほしい」
まさにこの作品の主人公たち、沖縄の住民たちの思いではないでしょうか?おいっ、石破くんよう聞いとけ...あっ、もう辞めるんやったな。