kazuのブログ

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サラリーマン社長のムービートラベル

日本で保守と呼ばれる言論人の方々の間では本作「沈黙の艦隊 北極海大海戦」はちょっとした話題になっている模様。軍隊を持たない、いや持てない国、日本。自国の防衛を平和を他国に依存すると言う何とも、奇妙な国。「日本は無条件降伏せよ」「日本の軍隊を解散しろ」(その結果が自衛隊)。そして自国に他国の軍隊を駐留させ、その兵士たちが我が国で犯罪を犯しても自国の方で裁けない、「日米地位協定」と言う何とも摩訶不思議な世界。そこんところは先週の「宝島」でも言いました。この作品の原作が最初、コミックとして世に出たのが1988年。中国で天安門事件が起こったのが翌年の1989年。中国は各国から経済制裁を受け、アメリカやロシアなどの大国とはまだまだ肩を並べることの出来る国家ではありませんでした。こんな作品なら当然のごとく登場してくる中国の姿がない。このあたり少々時代にズレを感じるのですが。

しかし、国家とは何か、国防とは何か、そして真の独立とは...原作者のかわぐちかいじさんはもう40年近く前から危機感を持ってらっしゃったんでしょうね。

日米共同で開発した最新原子力潜水艦〝シーバット〟を強奪した海江田四郎艦長と76名の乗員たちは独立戦闘国家「やまと」を宣言。「やまと」には一つの疑念があった。それは「核兵器搭載」。東京湾での米国海軍との戦闘を経て、日本との友好同盟を締結。海江田はニューヨークの国連会議に出席することとなった。

米国大統領ヘネットは「やまと」をテロリスト集団と認定し撃沈の指示を下す。海江田は進路を北極海へ取ったがアメリカとロシアの国境、ベーリング海へ差し掛かった時、「やまと」の背後に一隻の潜水艦の影が迫る。シーバットの性能を上回ると言う最新原潜〝アレキサンダー〟。

ちょうどその頃、日本国内では「やまと」を支持した竹上総理派とそれを真っ向から否定する反対派の意見で政府民自党は分裂、世論は大きく割れていた。竹上総理は民意を問う解散総選挙を発令。選挙の結果、僅差で竹上派が勝利。新民自党として竹上総理が再選する。

一方、ベーリング海では「やまと」が苦戦していた。いくら振り切ろうとしても必ず船影は「やまと」の前に姿を現す。アレキサンダー艦長ジョン・ベイツの戦法が「大和」の前に立ちはざかる。だがこの戦法には米国海軍の大きなトリックがあった。海江田はこの窮地を乗り切りニューヨークへたどり着けるのか?そしてニューヨーク港でも強力な米国艦隊が待ち構えていた。

 

正直、大沢たかおは「キングダム」のあの将軍のしゃべり方と酷似。なんかイメージが重なってしまいます。それと敵方となる敵艦長ジョン・ベイツのお兄さんと言う設定でノーマン・ベイツと言う軍人が出てきます。ノーマン・ベイツ...オールドファンならこの名前、ピンとくる人も多いと思いますがそう、1960年度作品、監督アルフレッド・ヒッチコックの名作「サイコ」の多重人格者の主人公。サイコパスと言う言葉が流行したのもこの作品がきっかけ。知らん人も多いと思うけど主演アンソニー・パーキンスの名作中の名作。「羊たちの沈黙」と並んで20世紀最高のサスペンス・スリラーと謳われました。アメリカ海軍の栄誉ある指揮官をサイコパスと同じ名前にしてしまうなんてやっぱり皮肉かなんかかなと疑ってしまいます。

まあ雑学はええとして、この作品に込められたメッセージとはやっぱり「国防とはなんぞや」かな?大戦後、日本が再び強大な軍事力を持ち、鎌首をもたげてくることを恐れアメリカをはじめとする連合国は軍備を放棄させ、辛うじて「自衛隊」と呼ばれるなんかよくわからない最低の自衛手段だけ認めさせてもらいました。あとはまさにアメリカの軍事力の傘です。日本列島の周辺には中国、ロシア、北朝鮮と言った頭のおかしい指導者たちが我が国にちょっかいを出てきています。大戦において資源も少ない小さな島国があそこまで戦ったと言うのは欧米諸国が脅威に感じるのは当然だと思います。しかしこの作品の原作が発表されてから40年、そして現在は既に80年が経っています。他国の軍事力を傘にぬるま湯に浸かり、惰眠を貪ってきた我国は、ここ20年の間に野望を胸に抱き虎視眈々と我国に土足で上がろうとしている中国の存在は無視できないと思います。火事場泥棒のロシアだって北海道を狙っていますよ。この作品を「日本よ眼を覚ませ!」ととってもいいんじゃないでしょうか。

何の因果か、この投稿をしているとき、自民党新総裁に高市早苗さんが決定していました(ああ、スンズローくんでなくてよかった)。日本初の女性総理、そして安倍さん以来の保守政権。彼女の言う「日本を強く!」に期待します。おい、オールドメディアと呼ばれる奴ら、そして親中議員、へんてこリベラル、邪魔だけはすんなよ。

 

 

 

 

 

沖縄が返還されたのが1972年5月15日。自分は当時9歳やから小学校4年生やったかな?今、思えば朝、全校生徒の校庭での朝礼で、なんか校長先生が言っとったかなーって程度でした。9歳じゃことの重要性がわからんわな。終戦後のアメリカの占領地であった沖縄から返還までの20年間を描いた作品がこれ、「宝島」。

一抹の違和感を感じるものの、わかります、ほんとわかります。自分なんかが安易に「わかります」なんてことは言ったらだめなんかもしれんけど日本人でありながらここは異国の領土。「日米地位協定」。これがある限り殺人事件が起きても、強姦事件が起きても、軍用機の落下で子供たちが大勢死んでも、ひき逃げ事件が起きても、沖縄の警察は米国軍人に対しては何もできない。憲兵登場でそそくさと皆引き上げてしまう。この怒り、この悔しさ、この無力感、一体だれが癒してくれる?「戦争に負けたから、それが一番悪い」それで片づけられるか?しかし密約がどうの、裏取引がどうのって言ったってアメリカは負けた日本に沖縄を返してくれたんや。負けもしてへんのに北方領土を掠め取ってしまう火事場泥棒のソ連・ロシアや、大戦から80年もたったこの時代に屁理屈をつけて他国の領土をふんだくろうとする強盗国家、中国とはやっぱり違うんです。決して日本は沖縄を捨石にはしてませんよ。最後の希望「大和」も向かった、特攻隊の若者たちも沖縄を救おうとして散っていきました。ただ戦後、経済大国を作ることのみに力を費やしてしまった戦後政府のやり方があまりにもお粗末だったと自分は思います。そんな複雑な思いを胸に上映時間3時間、沖縄の方々の思いを胸に受け止めさせて頂いたつもりです。

1952年沖縄はまだアメリカ統治下にあった。その戦後の沖縄で「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちがいた。彼らは駐留米軍から物資を奪い、地元の生活困窮者たちに分け与えていた。オン、親友のグスク、オンの弟レイも「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちだった。オンをリーダーに彼らはまさに地元の英雄だった。そして、オンの恋人ヤマコも加え4人は子供の頃からいつも一緒だった。だがある日、彼らは大きな「戦果」を挙げようと米軍基地襲撃と言う大胆な攻撃を仕掛けたが米軍の追撃に会い、散り散りになった。グスクは辛うじて逃れたもののレイは捕まり、オンはその日以来、行方不明になってしまった。

6年後、グスクはオンの行方を探そうと刑事になり、レイはオンの情報収集のため刑務所を出た後、ヤクザなった。そしてヤマコは働きながら必死に勉強をし教師になった。それは「いつか学校をたててやる」と言ったオンが夢を叶えたら、そこで「教師になる」と言う約束を果たすため...。3人はオンに対する思いをそれぞれ胸に抱きながら別々の道を歩き始めた。

ある日、女性の変死体が発見されグスクが捜査に当たる。米兵の仕業と分かったが当時、米兵が殺人事件や強姦事件を起こしてもすぐに憲兵が駆けつけ連れ帰ってしまう。今回もまた同じだった。容疑者を捕らえ連行しようとしたがたちまちのうちに憲兵が連れ帰ってしまう。日本の警察はなすすべもなかった。グスクはこのやるせなさにやり場のない怒りを覚えたがどうすることも出来ない。だがこの時、米軍情報部の高官アーヴィンと本土から来た政府通訳の小松と言う2人と知り合う。彼らはグスクに地元の情報を提供するよう持ちかけた。グスクはオンに関する情報と交換することを条件に心ならずも彼らの要求を呑む。この頃、覆面を被った一団が沖縄空手を武器に米兵たちを襲撃すると言う事件が多発する。黒幕にオンがいるのではないかと疑念が生じ、グスクの身辺でも正体不明の男たちがうろつき始める。時を同じくしてレイもヤクザの仲間から姿を消し行方が分からなくなる。そんな不穏な情勢の中、ヤマコが務める小学校に米軍戦闘機が墜落。ヤマコは辛うじて逃げ延びたものの彼女の目の前で11名の子供たちの命が奪われる。パイロットは墜落直前にパラシュートで脱出。何の御咎めもなかった。ヤマコはこの事件以降、祖国返還運動に傾倒する。沖縄市民の怒りは限界に近付きつつあった。

1970年12月20日。コザの繁華街でひき逃げをしようとした米兵の車を住民たちが取り囲んだのをきっかけに、ついに暴動が発生する。燃え上がるコザの街。そして、この騒乱の夜、オンが行方不明になった真実が解き明かされることになる。

 

物語は姿を消した仲間の行方を親友、恋人、弟がそれぞれの視点で追うことが物語の基軸になっているんですが、当時を取り巻く彼らの環境、当時の時代背景、「戦果アギヤー」「小学校米軍機墜落事故」「米軍VXガス放出事故」「コザ暴動」など史実、真実を交え事細かに描かれています。だからその分、3時間と言う対策になっているわけですが、この3時間を長いと思われる方も多いと思います。確かに長いとは自分も思いますがやはりセリフの大半は沖縄方言。回想シーンが多いのもこの映画の特徴。この回想シーンを画像と言う「絵」で見せて貰わないとセリフだけで事の起こりを語られても何が何かわからんところがあるわけです。特に最後の結末はそう。絵で見せて貰わないと理解が出来ひんたと思います。だからそれを「なるほど、なるほど」と観ていたからさほど苦痛はなかったですね。やっぱり観終わった後は「フゥーッ」てなったけど、それを「無駄な時間」とは思わんかったなぁ。

で、やっぱり観ていてつらい!確かに地理上、沖縄は最前戦に立たされてしまう。そして戦後も占領軍アメリカの兵士たちにはけ口にされてしまう。朝鮮戦争では半島が南北分断と言う形で半ば決着(これはまだ「休戦」やからね。「終戦」やない)してしまったから兵隊さんたちもさほど荒れてはなかったけど、ベトナム戦争は完全にアメリカの敗北。沖縄を拠点にベトナムへ渡った大勢の若者が死んでいきました。いつ何が飛び出してくるかわからないジャングルの恐怖から逃れるため最前戦の兵士たちは酒だけではおぼつかず麻薬で廃人同然になったりPTSD(心的外傷後ストレス症)を発症して、帰国、あるいは沖縄へ戻って来ても、そのまま社会復帰できず一生を終えた人など枚挙に暇がありません。そのへんはこの映画でも語られていますよね。だから安全な沖縄で荒れる荒れる。それは聞いたことがあります。だからと言って地域住民に悪さをすると言うのは軍人の風上にも置けんのやけどね。

この作品で分かるように沖縄の人たちは横暴なアメリカだけでなく、日本政府にも大きな怒りを感じています。沖縄住民の前に立ち塞がる「日米地位協定」。この当時ほどではなくても今でもまだ米兵による傷害、暴行の類、またオスプレイの墜落事故が起きてます。古今東西、軍人のあるべき姿は末端の兵士まであってはならないことなんですが...。何を起こしても基地に逃げ込まれたら最後。手出しできない。ようするに憲兵が来る前に逮捕して留置所に彫り込んでしまえばええわけなんやけど。やっぱり自衛隊しかない日本を「守ってやってる」と言う傲慢さがあるんやな。沖縄は日本だけでなく西側諸国にとっても大事な要。米軍が駐留しているのも日本のためと言うより自国のためと言う方が強いんやけどな。とにかく憲法改正です。自国の民、領土は自分で守らないと。冒頭で言ったように、この物語の主人公たちが悲観しているように我々はは決して「捨石」にしたり「見捨てたり」はしていませんよ、と言いたいですね。まあ、今のアホ政府、バカ閣僚たちはそこまで考えてへんやろうけど...。

けどこれに踊らされてるのが今の沖縄県知事やろうね。よっぽどアメリカを怨んでる。この人の父は元米軍駐留兵。日本人のお母さんとの間で生まれたんやね。お父さんがアメリカに帰ったから行く行くはアメリカへと思ったんやろうね。だからデニーって名前を付けた。けど結局は沖縄にとどまった。とどのつまり捨てられたんやろうなあ。そこを中国に付け込まれた。あんまり勝手なことは言えんけど。けどそうだとしたら私情を県知事と言う仕事に持ち込んどると言うことです。たまったもんではない。

最後に本作を観終わってある映画作品のセリフを思い出しました。シスベスター・スタローン主演「ランボー」シリーズの第2作。ベトナムに置き去りにされた兵士を代弁してこう言います。

「俺たちが国を愛したように、国も俺たちを愛してほしい」

まさにこの作品の主人公たち、沖縄の住民たちの思いではないでしょうか?おいっ、石破くんよう聞いとけ...あっ、もう辞めるんやったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国映画「大統領暗殺裁判」、「16日間の真実」と言うちょっと余計な副題がつきますが実話です。現大韓民国大統領李在明(イ・ジェミョン)から三代前の韓国初の女性大統領朴槿恵(パク・クネ)さんのお父さん、第5代大統領朴正煕(パク・チョンヒ)の暗殺事件を描いた作品です。何年か前に「KCIA南山の部長たち」って作品でも描かれてました。この時はイ・ビョンホンが大統領暗殺の主犯だったKCIAの部長キムを演じてました。時代は1979年。日本はと言えば高度経済成長からバブル経済へ入り、この世の春を謳歌しようかと言うような時代です。パク・チョンヒ大統領時代はまさに独裁政権でこの人も軍隊からの叩き上げで軍事クーデターにより大統領になった人。まだまだ軍の力って強かったんですよね、この国は。軍が力を持つとろくなことはありません。日本しかり、ビルマしかり。南と北とで国が別れ、民主化を推奨したはずの南、大韓民国なのに「民主化」と呼ぶにはまだまだ未熟な国だったと思います。本作はその後日談。8名の犯人の中に一人だけ軍人がいました。そのためこの人だけ軍法裁判で裁かれます。一般の裁判なら最高裁(ん?韓国じゃ最高裁って言わへんの?)までの三審制。弁護士はその間、時間を稼ぎ世論の同情を買って罪を軽減して貰おうと言う戦法です。軍法会議はただの一回のみ、それで判決が出ます。この主任弁護に着いた弁護士がやり手だけど「裁判は善悪を決める場じゃなく、勝ちゃあいい」がモットー。裏工作、虚偽証言はお手の物のかなりダーティーな奴。ところがこの被告は「私は軍人、軍法会議で裁いてくれ」といった、まさにザ・軍人と言った人物。まあ、水と油みたいな2人なんですが、この2人が軍部の闇に立ち向かっていきます。韓国の暗黒時代を背景に2人の男のすれ違いと心の変化がなんとも観ててつらく、それでいて何処かに希望を見出そうとする当時の韓国の明日を思う作品です。

1979年10月26日朴正煕(パクチョンヒ)大統領暗殺。8人の犯人の中に1人だけ軍人がいた。主犯の中央情報部部長キム・ヨンイルの随行秘書官パク・テジュ大佐である。彼だけが軍法裁判で裁かれることとなった。裁判の指揮を執ったのは合同捜査団長に就任したチョン・サンドゥ少将。30名を超える大弁護団の中パク大佐の主任弁護士に就いたのはチョン・インフ弁護士。若いがやり手で「裁判は善悪を決める場ではなく、勝負の場」と言い放ち、裁判に勝つためなら偽証、裏工作も厭わないと言うかなり強引な男だった。彼は一審制の軍法裁判でなく、三審制の一般裁判に持ち込み時間を稼いで世論の同情を誘い減刑に持ち込もうとした。だが、肝心のパク大佐は首を縦に振らない。「私は軍人。軍人は命令に従わなければならない」あくまで、軍事法廷での裁判を望む、まさに絵をかいたような軍人であった。チョン・インフ弁護士は絶対不利になるにも関わらず、あくまで軍人としての信念を突き通すパク大佐の頑固さに半ば呆れながらも「命令に従った」その一点に焦点を絞り奔走する。だがその前に立ちはだかるのはこの事件をきっかけに軍を掌握しようとするチョン・サンドゥ少将。様々な妨害をめぐらし、時には暴力で脅しをかける。最初は融通の利かないパク大佐に嫌気がさしていたチョン・インフであったが頑なまでに軍人であろうとするパク大佐と接していくうち、そして軍内部の権力構造の闇を垣間見るうちに、本当の正義とは何か、真の民主主義国家とは何かを自問するようになる。そして硬く心を閉ざしていたパク大佐はチョウ・インフにだんだんと心を開くようになる。そんな中、遂に裁判のカギを握る軍の大幹部、陸軍参謀総長の出廷の了解を得ることができた。だが、12月12日チョン・サンドゥ少将による驚天動地の軍事クーデターが発生...。

 

この物語は事実を基に若干のフィクションを混ぜています。殺された朴正煕大統領以外は被告となるパク・テジュ大佐の実名は朴興柱(パク・フンジュ)、チョウ・インフ弁護士の実名は太倫基(テ・ユンギ)弁護士、裁判を影で牛耳るチョン・サンドゥ少将、この千原兄弟のせいじに似たおっさんは日本でもご存じの方は多いと思いますが、何を隠そう、後に大統領の座に就く全斗換(チョン・ドゥハン)なんですよね。微妙に名前を変えて演じています。しかし初代の李承晩(イ・スンマン)から始って、朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗換(チョン・ドゥハン)とまあ、悪党ばっかしやな。韓国の大統領って退任したらすぐ逮捕されるってのもこの国の特徴です。このパク・チョンヒの時代に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げ世界最貧国から脱出します。まあしかし、1965年の日韓基本条約で無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を日本はしてあげているわけやから、こんなん奇跡でもなんでもあらへん。今からわずか50年足らず前、まだ民主国家と言うものをよく理解していなかった、試行錯誤しているような時代の大韓民国と言う国家が描かれています。そんな時代を背景に「勝ちゃあいい」と思っていた弁護士の仕事に対し真に向き合い、被告に思いを寄せるようになる弁護士の心の移り変わりを描いているのが印象的でした。しかし現在は簡単に大統領の座から引きずり下ろす、この国の情勢から考えれば、大統領や軍が強権を発動するようなこの時代から大きく変わったと思います。韓国の方々が言う「漢江の奇跡」からオリンピックの招致、今では韓流ブーム、K-POP、アカデミー賞の受賞まで経済から文化、芸術に至るまで、ほんと大きく発展してきたと思います。まあ、これで日本を目の敵にしなきゃあんまり言うことはないんですが...。それはともかく、自分が初めて韓国映画を劇場で観たのが「シュリ」。それももう25年前の話。衝撃でしたね。韓国ってこんな映画作るのかって。それ以降、社会派ドラマ、人間ドラマからラブストーリー、オカルトもの、アクション映画に至るまで、そんな外れた作品はなかったように思います。この作品群の中で南北朝鮮半島を題材にしたりネタにした作品は多々ありました。本作のセリフの中でもそれを意識した会話があります。民族、国家の分断なんて我々日本人は経験してないですから。その一歩手前まで行きかけたけど我国には素晴らしい先人がいたおかげで今があります。それを思いながら自分は韓国映画を楽しみ、そして南北朝鮮民族の方々の心情を思いながら韓国作品を観せて頂きたいと思います。