kazuのブログ

kazuのブログ

サラリーマン社長のムービートラベル

つらいんよなぁ、この映画。

横田慎太郎...元阪神タイガース外野手・現役生活5年・実働2年・出場試合38試合・105打数20安打・通算打率190.打点4・本塁打0・盗塁4

この選手がどれだけのタイガースファンのいや野球ファンのみならず日本中の人々の心をなぜ掴んだのか、心揺さぶられる彼のたった28年の人生。彼に携わった人々が彼の軌跡と奇跡を多くの人々に知ってもらおうと創り上げた映画「栄光のバックホーム」。すでに私は彼のことは良く知っています。いや、「よく」と言うのは彼にとっても、彼を支え続けた家族や周りの人々には失礼かもしれない。もう一度彼の人生を「映画」と言う枠で観てみたいと思いました。横田選手を演じた松谷鷹也さんは野球技術もさることながら、朴訥な人柄は横田慎太郎そのものでした。皆から愛され、誰よりも野球を愛し、誰よりも努力し、練習しました。そんな彼に襲いかかる不条理、なぜ横田慎太郎なのか、なぜ神様は彼がだれよりも愛した野球を取り上げ、それだけでは飽き足らず命までも...あまりにも過酷な運命を迎えながらも彼はその運命に向かい合い、残された人生を全うしようとします。

今年タイガースはペナントレースをぶっちぎり、セントラルリーグ制覇を果たします。遡ること2年前の2023年7月18日、横田慎太郎は28年のその短い生涯を終えました。そしてその2ヵ月後、タイガースが大手をかけた9月14日甲子園球場、4-2でタイガースリード、クローザー岩崎優がマウンドに上がった時、甲子園に流れるのはいつもの彼の登場曲ではなく、横田慎太郎が現役時代に使っていた登場曲「栄光の架け橋」。この時、甲子園球場に「栄光の架け橋」の大合唱が巻き起こりました。自分はこの時を、この曲が流れるこの約何十秒間を忘れることができません。そして、ウイニングボールを中野拓夢二塁手が掴み取り、岡田監督が胴上げされた後、横田慎太郎のユニフォームを摑んだ優勝投手、岩崎優投手の胴上げ...その時、サンテレビ湯浅明彦アナウンサーの「横田さん、あなたは今どこで見ていますか...」と言う実況。万感胸に迫るとはこのこと、彼が逝ってもう2年か...生きていれば30歳。一番選手として油が乗り切っている時、野球人生を全うで来ていればどんな選手になっていたのだろうか、そんな思いに浸りながらの2時間15分でした。

鹿児島県で生まれた、横田慎太郎は元プロ野球選手の父といつも背中を押してくれる母の元で育ち、2013年鹿児島県の高校野球の名門、鹿児島実業高校でエースで4番。鹿児島県地方大会決勝で惜しくも敗れ甲子園を逃したものの、その年のドラフト2位で阪神タイガースに指名されプロ野球の門を叩いた。背番号は24。球団の期待の表れだった。タイガースの若手寮「虎風荘」に入寮したとき、声をかけてきてくれた1年先輩の北條史也とは親友になり互いに励まし合い、切磋琢磨した。

1年目、2年目、プロの厳しさに揉まれながらも彼は着実に成長を遂げた。3年目、新任の金本監督に、そのた圧倒的パンチ力と脚力、人並外れた身体能力と野球センスを認められた慎太郎は開幕先発に抜擢、「2番センター」でデビュー、開幕戦こそ無安打だったものの、2戦目でプロ初安打。以降はヒットを連発し前途は前途は洋々たるものだった。だが最初の数試合はただ我武者羅に試合に臨み、結果を残していたものの、やはりプロの壁は厳しく、6月以降は2軍生活が続きシーズンを終える。来季こそはの思いを胸にオフに故郷へ帰った慎太郎だったが、このころから激しい頭痛に見舞われるようになる。そして、迎えた4年目のキャンプ、彼は体調に異変をきたす。ボールが二重に見える...診断の結果は脳腫瘍、21歳の若者にはあまりにも惨い現実だった。手術後、治療に専念するためオフに育成選手として再契約した。背番号は24から124に変わった。家族、特に母に励まされ、支えられながら懸命にリハビリに臨み、2018年、2軍の春季キャンプには練習は別メニューながらもキャンプには参加できた。そして続く2019年には打撃練習や守備練習のメニューにも参加したが「ボールが二重に見える」と言う課題は解消されず、9月22日に引退が発表される。そして9月26日には2軍では異例の引退試合が行われる。そして家族が見守る中、2軍鳴尾浜球場でのソフトバンク戦。8回表、平田二軍監督が選手交代を告げる。「センター・横田」。ここで彼は伝説となるプレイを見せる...だが慎太郎の、そして家族の熾烈を極めた病との本当の戦いはこれからだった。

 

先に言っとくけど、映画に関する細かいところを言えば多々あります。川藤幸三=柄本明(ええっ、やっぱり雰囲気うまいけど絵がぜんぜんちゃう)、金本知憲=加藤雅也(男前すぎます)、掛布雅之=古田新太(うん?)、 平田勝男=大森南朋(もっと陽気です)、田中秀太=萩原聖人(良すぎひんか)、それに北條選手を演じた役者さんかって体格からユニフォームの着こなしからやっぱりリアリティがないのはしょうがないこと。こんなことこの映画で言うとそりゃ何が飛んでくるかわからんけど、やっぱりハリウッドの野球映画は体格からユニフォームの着こなしからビタって決めてくるのよ。主役級の役者さんたちは体を作り上げてくるし、エキストラの選手役もそんな体格の人を揃えてきます。この作品と真逆な「メジャーリーグ」だってあんなおふざけ映画でもそのへんは凄いもんね。俺のように根性が悪い映画ファンはそんなことちらっとは絶対感じてしまうと思うんですが。けどこの作品はそんなこといっちゃ、いかんと思うんですよ。なら、言うなって。

俺ね、横田に対しての思いは一杯あるのよ。まず彼のデビュー戦、とにかく身体能力の高い選手やなって思いました。体格のいい選手にありがちなのっそりしたとこがない。無茶苦茶アグレッシブ、とにかく足がめちゃくちゃ速い。普通の内野ゴロを内野安打にしてしまう。左利きの選手にありがちな肩の弱さがない。ほんと身体能力の高い選手やなって思いました。お父さんもプロ野球選手。ロッテの典型的な好打者で三割も打ってベストナインにも選ばれています。だけどスケールはダンチででかい選手だなと思いました。思えば今、流行りのスラッガーを2番に置くと言う攻撃型2番打者の先駆けやないかな。この時、金本監督が掲げた「超変革」に相応しいバッターです。絶対ようなると思ったもんね。この年の開幕オーダーが1番レフト高山、2番センター横田。絶対シーズン通してこのままいってほしいと思いました。ところが知らん間におらんようになってしもた。金本も我慢できんかったんかな。けどこの頃からひょっとしたら体はおかしかったんかも知れん。今、思えばやけどね。もうそれは本人しかわからんねんから。ええーっなんで横田使わんのんて思うたもん。この6月以降がこの映画で語られいている通り、そして周りのもんが言うようにプロの壁やったんかどうか、若い選手はチャンスを掴みかけた時は痛いだの、しんどいだの言わんもんね。特にこういう真面目な昔風のタイプの選手はね。

冒頭に書いた神様の本当にひどい仕打ち、前途有望なそして何より野球の好きな若者から野球を取り上げ、命まで取り上げた。なんで横田なんや?だけどそんなひどい、冷酷な神様が本当に要るとしたら、ほんのちょっと、ほんの少しだけいいことをしました。それが引退試合での「奇跡のバックホーム」。そう思いたいですね。けど、今年から2軍監督に戻った平田監督は言います。「あれは奇跡でもなんでもないよ、横田の努力の賜物やもん」。

自分は社会のニュース報道やバラエティでもスポーツ中継でもいらんことばっかり言って、自分の思想や考えを押し付けてくるアナウンサーって言う人種が大嫌いです。男女問わず、特にNHKと在京キー局のデカイつらしたMCを努めるアナウンサーがね。けど地方局、サンテレビの湯浅明彦アナウンサーの中継はほんと胸打たれました。「横田さん、あなたは今どこで観てますか...あなたのことは一生忘れません」。センチメンタルかもしれんけど人に素直に思いを伝えるってこんなことやと思います。おいっ、聞いてるか大越!TBSの偏向アナども!あんたらの政治信条なんかどうでもええねん!  

確かに大谷翔平は凄い!偉いと思うよ、人種差別の巣窟のようなアメリカと言う国の中でね。けど彼はうまく時代の波に乗れたのも確かだと思います。それにはいろんなものを犠牲にして我々には計り知れぬ努力を続けた結果だと思います。だけどどんなに努力し、いろんな犠牲を払っても、運命に翻弄された若者がいたことを日本だけじゃなく全世界に知ってほしいと思います。野球が大好きで、野球にすべてを捧げたにもかかわらず、道半ばにしてすべてを閉ざされた若者がいたことを...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒトラー総統暗殺を描いた作品はトム・クルーズの「ワルキューレ」と言ったハリウッドの大作を始めヨーロッパ映画でも多々描かれています。それだけこのアドルフ・ヒトラーと言う男の名前は世界にとってまさに邪悪の象徴であります。そしてドイツ人牧師を描きながらドイツでなくアメリカ、ベルギー、アイルランドの合作として公開された作品がこの「ボンヘッファー/ヒトラーを暗殺しようとした牧師」であります。うーん、しかし毎度ながらなんかないのかね?この邦題のセンスのなさは...。まあそれはともかく、ドイツの比較的裕福な家で生まれ、兄の戦死を契機に聖職者の道を選び、ナチスに徹底的に抵抗し殉教の道を歩んだ牧師ディートリッヒ・ボンヘッファーの姿を描きます。

ディートリッヒ・ボンヘッファーはドイツの裕福な家庭に生まれる。だが大好きな兄が第一次世界大戦で戦死。その兄から手渡された聖書の影響により聖職者の道を選ぶことになる。神学生として優秀だった彼はアメリカへ渡りニューヨークの名門神学校に留学。そこで黒人の同級生フランクと親しくなる。ハーレムのジャズバーで故国ドイツにない自由で新鮮な文化に触れ感激した一方で彼は黒人が徹底的に差別され虐待を受けているこの国の現状にショックを受ける。

ドイツに戻り牧師となった彼が直面したのは第二次大戦下で台頭するナチスに蹂躙される祖国の現状だった。アメリカで見た黒人差別同様にユダヤ人を徹底的に差別し、弾圧するナチス・ドイツ。そして総統アドルフ・ヒトラーを神格化し、あろうことかイエス・キリストと同列に扱い、果てはイエスはアーリア人だと聖書を書き換える始末。ドイツ教会もナチスに浸食されてしまっていた。危機感を覚えたボンヘッファーは教会で「教会は聖域であり、権力の場ではない」と演説。多くの関係者の感銘を受ける一方、ナチスからは反乱分子として目を付けられる。彼はイギリスのベル司教の後ろ盾を受け祖国で「告白教会」を設立。「ドイツ国家がユダヤ人を迫害するなら、我々は国家に抵抗する」と宣言。かつてボンヘッファーの言動を非難していた、ニーメラー牧師も彼に賛同。だがナチスの弾圧はすさまじくニーメラーは逮捕。追い詰められたボンヘッファーはドイツ国防情報部で働きながらナチスの極秘情報を探る義兄ハンスと共にレジスタンス活動に参加、収容所のユダヤ人たちを国境で逃亡させる任に就く。そしてその行動はやがてヒトラー暗殺に共謀するまでに至る...。

 

ショックですよね、イエス・キリストの十字架がハーゲン・クロイツの鍵十字に変わるんやから...。けど余談ですが戦後、ナチ高官たちが南米へ逃亡するのにバチカンが手を貸したと言う話もあります。この辺、何とも闇が深いなぁ。これから考えてもヒトラーが熱烈なキリスト信者だったと言うこともわかります。

それはともかく、こういう映画が公開されると映画の内容にかこつけて無理に自分の思想理念を押し付けてくるやからがいます。コメディアン・俳優の松尾貴史氏「遠い昔に起きたことなのに『現在の我が国ではないか』と思うほどの既視感が襲う。流言と熱狂が勝利し愛国者を装う独裁的勢力が台頭している」(「ボンヘッファー/ヒトラーを暗殺しようとした牧師」パンフレットより)とパンフレットに各界の有名人たちのコメントとして一緒に記載されているんやね。もう、こういう奴大嫌いやわぁ。あのね、こういう事どういう思考回路から導き出せるの?まぁパンフレットの作成時期から考えると高市政権が誕生する前やろうから、おそらく外国人の移民問題やなんかで勢力を増した、参政党を始めとする保守系政党の躍進のことを揶揄してるんやろうと思うけど、なんでナチスドイツと我が国の現状が結びつくのか全く訳が分からんわ!結びつくのは中華人民共和国やろ!ヒトラー=習近平やろ!ナチスのユダヤ人弾圧どころやないぞ!ウイグル、チベット、モンゴル、東北部かって満州人のもんやぞ。こんなんは非難せんのか?どういう頭の構造なってんねん?アジアは全部自分のもんやと思うとるバカはどう考えてもヒトラー級の邪悪な存在や。

今、台頭しとる勢力はこういうヒトラー=習近平から国を守ろうとしている政治家たちやろ!嘆かわしい限りです。

一般の方々はこういう妄言に惑わされず、ちゃんと自分の頭で考えて、何が正しく、何が間違っているのか、そして何が善で、何が悪なのかよく考えて発信してほしいと思います。前述の訳のわからん戯言を宣うレフティさんはもう救いようがないと思いますけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1987年アーノルド・シュワルツェネッガー主演でスクリーンデビューした「プレデター」は完全ヴィラン、当時スタローンを追い落とそうかと言うような勢いだったシュワルツェネッガーの「プレデター」での広告文句が「この男に、地球上では敵がいない!」とかなんとか...。あれから38年、今ではシュワちゃんを凌ぐまでの人気になりました。デビュー作では極悪非道、残虐無残、冷酷無比の好戦的エイリアンと描かれたこのヴィランがいつの頃からか実は誇り高き戦士であり、力が、強いが、すべての狩猟民族、負ければ自爆...まあこれは日本で言えば「切腹」ね。時には強敵には敬意を表すことさえある。そんな描かれ方がされ始めました。そうやなあ、「エイリアンVSプレデター」頃からかな。獰猛な感情が全くない爬虫類型「エイリアン」に対して、どちらかと言えば人型エイリアン、話せばわかる的な描き方をプレデターがされるのはまあ必然的だったかな。そして今回、じゃあ謎の多いこの「プレデター」を主演に置いた作品を作ろうと作られた作品がこれ、「プレデター:バッドランド」。おもろかったね、いやあ想像以上におもしろい、迫力満点のSFアクションに仕上がっていました。60過ぎのオッサンには20代の頃から慣れ親しんだ、ヴィランが誇り高き戦士として描かれる...面白いです、若い諸君もぜひ観に行ってください。

 

プレデター...ヤウージャ族の若者デクは体つきも小柄で兄クウェイにはとても叶わない。そんなデクは自らの力を誇示するため最悪の野蛮な星ゲンナへ行って最も獰猛で最強の生物カリスクを狩り父に自分を認めさせると言う。かつてカリスクを狩りに行って戻ってきた者はない。クウェイは止めたがデクの決心は堅かった。だがその時、二人の前に一族の長である父が現れ、「一族に弱者は不要」と兄にデクを抹殺するよう命令、だがクウェイは弟を庇い、デクを宇宙船で脱出させる。しかしその代償として父はデクの目の前でクウェイを惨殺する。

デクが不時着したのはバッドランド、ゲンナ星だった。ゲンナ星...まさに最悪の地、獰猛な捕食者たちが次々と襲いかかる。捕食者たちだけではない、毒生物、毒虫、毒植物、あらゆるものがデクの行く手を遮る。カリスクを追い求める彼は半身に引き裂かれた少女型アンドロイド、ティアと出会う。彼女は「カリスクを知っている。私を連れて行けば便利よ、その代わり私の下半身ともう一体の同型アンドロイド、テッサを探すのを手伝って」。デクはイヤイヤながらティアの上半身を背負い連れて行くことにとにした。道中、2人は正体不明の小さな猿のような生物、バドと出会い同行することになる。やがて宇宙船の廃棄場所のようなところでカリスクが現れる。ここがカリスクの「巣」なのだ。だがカリスクは体の一部を切り捨てても再生することの出来る不死の捕食者だった。デクが死闘を繰り広げているときテッサをリーダーとしたアンドロイドの兵士が現れ、カリスクと共にデクは捕獲される。ティアとテッサは地球のウェイランド・ユタニ社のアンドロイドで彼女たちはこの星へ生物兵器の確保にやってきたのだ。テッサはティアと違い無感情で冷徹なアンドロイドだった。果たしてデクはカリスクを狩り故郷の星に戻ることができるのか...。

 

どこか、プレデターの社会って「命を惜しむなって、名を惜しめ」って言う日本の武家社会に似通ったところがあるような気がします。強さがすべて、弱者は淘汰され、闘いに敗れることは死を意味します。従って切腹(自爆)。ところが彼らの世界には親と子の感情も愛情もない、許すと言うことは弱さの表れ、強さがすべて、弱さは恥ではなく、許しがないわけです。よく百獣の王ライオンは我が子を谷底へ突き落し這い上がってきた子だけを育てる。なんてことがよく言われるがそんな甘いものではない、他の動物の例を挙げると猪は自分の子が生まれてくると弱っている子がいればそれを喰ってしまい自らのエネルギーとする。こっちの方に似てますよね。愛情だの慈しみだのと言う言葉はプレデターの社会や猪の世界にはないわけです。敵の頭蓋骨はトロフィーとするプレデターの教育がこんなんだとまあ、一作目、二作目で観たシリーズで見せる残虐さの根本は38年経ってようやく描かれたと言うことやね。多分こんな前提なく、シュワちゃんに対抗できる無茶苦茶強いエイリアン、彼らは人類が持つ兵器よりもはるかに優れた武器を持ち、ただ、ただ、強い相手を狩ることだけが使命とされる誇り高き種族。段々とそんな肉付けが新たな作品が生まれるたびにされて行ったんでしょう。と、自分は思うわけですがプレデターファンの方、マニアの方は皆さんどうお考えでしょうか?しかし、この物語は若きプレデター、デクの成長物語。どんなに強く、戦闘能力に優れていても、一人の力よりも、仲間との協調、団結力、その力の源は家族。真の強さとは何かをデクは学んでいきます。

さてこれからですが、ラストでデクの前で巨大な宇宙船が現れ彼が「母上だ」とポツリと言うシーンで幕を閉じます。これまた、これからが楽しみなわけですわ。プレデターの雌、いや女性は今迄登場せんかったもんね。どう描かれるんでしょうか? やっぱし、アマゾネス系?