新潟に来たら戦国時代の名将・上杉謙信公の居城、日本百名城の春日山城には訪れなければなりません。新潟から電車でも2時間以上かかりますが難攻不落の名城に登城したいと思います。実はこの日は謙信公祭りの前日で街はその雰囲気で盛り上がっていてワクワク感が伝わってきました。

この日最初に寄ったのはトキ鉄・妙高はねうまライン春日山駅です。城めぐりの旅をした時は必ず拠点の駅に寄るようにしています。現地の雰囲気とか街の規模とかを感じることができることが多いのですが春日山駅は思ったよりもこじんまりとした印象です。

街中を車で走っていますと多くの幟がはためいています。明日は謙信公祭りが行われますので準備が着々と整っているようです。

ものすごい数の幟です。祭りの規模の大きさが現れていると感じます。

盛り上がっています。今年の謙信公役は松平健です。

謙信公の春日山城を目指して車を飛ばしていきます。

春日山城跡への入口付近に着きました。とにかく巨大な城のようでこれから全体像がまだ不明です。どこまで進めるかまだ分かりませんが城跡をめざします。

車を停めてここから城跡目指して階段を登っていきます。

急な階段で登り終えると足がガクガクしました。

まずは春日山神社にお詣りすることにします。

この神社自体は明治時代になって創建された新しい神社ですが米沢の上杉神社から分霊された上杉謙信公を祀ります。

緑の木々に包まれた雰囲気のある神社です。

謙信公の勝ち運にあやかりたくお詣りさせていただきました。必勝祈願。

春日山城の案内です。現在も空堀や土塁、大井戸など山城の特徴が残り屋敷や空堀が展開する山の裾野に約1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構が築かれているなどの大規模な城です。

さてその先には有名な謙信公の銅像が見えてきました。

春日山城跡に建つ謙信公の銅像です。

昭和44年大河ドラマ「天と地と」の放映にあわせて建立されたものです。力強いです。

謙信公の春日山から見える上越の眺めです。

さてここから壮大な春日山城に登って空堀や土塁、屋敷跡を確認したかったのですが、この日は気温が既に35℃を越えており多少疲れもあって気分が悪くこの日はここで登城を諦めることにしました。熱中症の予備軍だったかも知れませんね。また気候の良い時期の次の楽しみにしたいと思います。

次に謙信公が幼少期を過ごした林泉寺を訪れます。

上杉謙信公の祖父長尾能景が長尾家の菩提所として創建した寺です。

落ち着いた中に気品のある素晴らしい山門です。人を魅了します。

近くから見ても来る人を圧倒するような雰囲気のある門構えです。

寺側からの眺めです。掲げられた「第一義」の額字は謙信公の自筆のものです。

こちらは本堂です。

謙信公は名僧・天室光育の厳しい教えのもと7~14歳までを過ごしました。謙信公の高い教養や厚い信仰心はこの時期に培われたといわれています。

境内に謙信公の墓所も存在するとのことでお詣りしたいと思います。

緑の繁った山道を進みます。

謙信公の墓所です。上杉謙信公の実際の遺骸は鎧兜を身に着けた状態で越後から米沢に移された際には米沢城内に埋葬され供養されたと言われてます。

こちらは川中島合戦の戦死者の供養塔です。

上杉景勝の後春日山に入った堀秀治の墓所です。堀秀治は山城の不便さもあってか日本海に面した福島に新たに城を築くことになり、その後福島城に松平忠輝が移封するという歴史の流れになります。

そして春日山城の歴史を知ることができる春日山城史跡広場・春日山城ものがたり館に寄りました。

上杉謙信が合戦に際して用いたのが「天賜の御旗」と「毘の一字旗」でありこれが軍旗や馬標であったと伝えられています。

「毘の一字旗」これは仏教の戦いの神、毘沙門天にあやかったものです。

隣接する春日山城史跡広場には約1.2kmの総構の監物堀や薬研堀、東城砦の番小屋などが復元されています。見学できれば良かったですがこの日は謙信公祭りの会場準備で立入禁止になっていました。

翌日の謙信公祭りでは川中島合戦の再現が行われる会場になっていました。私も観戦してみたかったですが残念ながら今日帰らないといけません。

新潟も猛烈な暑さの日が続いていましたので謙信公祭りも観ないで帰路に付きました。また涼しくなった時期に訪れたいと思います。