その①より続く
いよいよ上陸開始です。船から降りた人々は誘導されて1列になって進みます。
太陽が照りつけて暑いのが第一印象です。でも島では傘はさせないので船内で麦わら帽子が配られたので助かりました。
いきなり見えてきたのは当時石炭を船に運んだベルトコンベアの骨組みです。炭鉱施設の残骸が残っているのが分かります。上にそびえるコンクリの建物が当時の幹部の社宅だそうです。
見学できる場所とコースは限定され3つの見学広場が決められているのでまずは第一見学広場に向かいます。
波や風によって大きく破壊された分厚いコンクリート壁が露わになっていました。台風が直撃した結果でしょう。
船着き場がある島の東側は炭鉱施設が並びます。このあたりは採掘された石炭が運ばれ溜めらる場所なんでしょう。一方奥の突き当りに見えるのは国内最高層の7階建て端島小中学校です。当時は緑無き島と呼ばれましたがさすがに年月が経って雑草が生い茂っています。
第一見学広場ですが暑さ対策で日陰を作ってくれています。見学コースには日差しを遮る場所が無いので麦わら帽子だけでも結構暑く感じていました。
観光地という訳にはいかないですがこういった案内板があるとたいへん分かり易くて理解が進みます。
坑道の入口周辺になりますが検査場や鉱員専用風呂があった場所です。
台風などにより海から打ち上げられた瓦礫が堆積していました。
護岸には石積みがされていますが石灰と赤土を混ぜた材質が使われているためオレンジ色が残っています。この護岸が世界文化遺産の認定となった貴重なものです。
第二見学広場です。他とは際立つレンガ造りの建物は総合事務所の跡です。下の空洞は鉱員専用浴場です。ここには炭塵で真っ黒になった体のまま汚れを落とす浴槽と温水浴槽がありあがり湯には真水が使われていたとのこと。
手前が30号棟ですがかなり現存する日本最古の鉄筋コンクリート造りで現在かなり崩壊が進んでいるということで、近づくのは危険な状態になっています。閉山後、無人島になった後に建てられた端島灯台の姿も見えてきます。
ぎっしりと詰められた島の施設には珍しくこの辺りには空間、広場が広がっていたようです。
当時の海水プールの跡が残っていました。夏は多くの子供たちが楽しんだことでしょうね。
公開されたコースは一部ですので短時間の滞在でしたが軍艦島の当時の姿を思い浮かべることができた気がします。
上陸が終わって船に戻ります。島はかなり暑かったので涼しい船内は天国です。
この後船は島の回りを一周して上陸では見えなかった西側住居部分を見学することができました。
高層な建物が多いのは場所が狭いのと人口密度が高い所に詰め込んだためでしょう。この小さい島に最盛期には5300人が住んでいたということで世界一の人口密度を誇ったということです。
左は端島小中学校、手前の端に建つのは病院施設です。
島の西側に鉱員住宅が立ち並んでいるのは圧巻です。ここでは多くの鉱員の家族たちが日々生活し大いに賑わっていたことでしょう。
端島神社の拝殿と鳥居は壊れてしまいましたが祠だけ残っています。
白い柱の瓦礫があるところは泉福寺の跡です。島にお寺もあったのです。さらにこの左側には島唯一の映画館がありました。
海に向かって建つ防波堤のようなアパートは31号棟です。
住居以外にも地下に共同浴場、1階に郵便局があったそうです。ほぼどこの街にもある施設は島に存在していたことが分ります。恐らく住人は何不自由ない生活をおくっていたのだと思われます。
船は軍艦島を離れ長崎港に向かいます。皆名残惜しそうに見つめています。非公開エリアについてはテレビかytで確認してみることにします。
綺麗に撮れた軍艦島の全景です。戦艦「土佐」に姿が似ていたことからいつの頃からか軍艦島と呼ばれたそうです。1974年1月15日に惜しまれながら閉山となって5300人いた住民は一気に居なくなって無人島になってしまったのです。
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