以前から村上水軍には興味ありましたね。城山三郎の「秀吉と武吉」は好きですね。村上武吉が微妙に立場の違う三家をまとめて毛利や豊臣秀吉らとやり取りに苦労する姿が非常に印象に残ります。今回の旅のハイライトの村上水軍の史跡巡りに出発します。
大島の村上水軍ミュージアムを目指します。途中来島海峡大橋を渡っていきます。
大島南ICを降りて右に進むと宮窪地区です。
途中案内のある高龍寺は村上義弘公の菩提寺であり山中には墓所も作られています。
今回の旅の目的の一つでもある村上水軍ミュージアムに到着しました。
均一にクサビ跡の付いた現代風石垣が積まれていました。
能島水軍の棟梁であり日本最大の海賊と称された村上水軍の総大将、村上武吉の銅像です。私は城山三郎の「秀吉と武吉」を読んで興味を持ちましたね。
和田竜氏の「村上海賊の娘」で村上水軍を知った人も多いでしょう。私も読みましたがけっこう話が長いので読み終わるのに時間がかかりました。
小早船のレプリカがありましたが岩に穴に空けたものを船止めにしていたようです。この穴は後で訪れる能島の海岸にたくさん見ることができます。
小早船と呼ばれる小型船が活躍したのが村上水軍の特長で、毛利軍が第一次木津川の戦いで織田信長軍に大勝した一因でもありました。小回りが利いたのでしょうね。
そろそろオープンの時間ですので正面エントランスへ向かいます。オープン前ですがもう数人が外で待っていました。
館内に入ると吹き抜けの明るい展示がいろいろと目に入ります。村上水軍を未知の方は映像で予備知識を勉強でしょう。
窓からは実際に能島を見ることができます。
上空から撮ったこの写真が分かり易いですね。能島と鯛崎島、鵜島それと伯方・大島大橋の架かる見近島の位置関係が明確です。この狭い海峡を村上の小舟が自由自在に走り回っていたことでしょう。
実際に海賊はこのような鍵状の武器で相手の舟に乗り込んだようです。通る船をむやみに襲うバイキングとは違い通行料を取って安全を保証したとのことです。
戦国時代の船は大・中・小の3種類に分けられるのだそうです。左から安宅船、関船、小早船となります。村上水軍の得意なのは小回りの利く小さい船です。
お、これが村上武吉が着用したと伝わる陣羽織です。我々が良く知る武将と違い恰好がお洒落ではないですか。
魔除けの意味で架空の動物の血で染められているとのこと。
村上家の紋が染められた幟です。
細かい刺繡は魔除けの印とは知りませんでした
能島で実際に発見された大穴のイメージが展示されています。何に使われたかが不明ですが海面よりも高い位置に掘られていたために飲料水などを貯めていたのではないか見られています。
ミュージアムを出ると正面が能島水軍レストランです。
ここは海鮮レストランであり潮流体験クルージングの受付場所でもあります。
腹が減ってきましたのでこのまま腹ごしらえすることにします。もろに港の食堂という感じです。
宮窪の鯛をこの場でいただけるのがありがたいです。
ちょうどブラタモリで村上水軍の訪問した映像が流れていました。
宮窪の名物の鯛を使った鯛めし丼です。生卵を真中に乗せて醤油をかけて混ぜて食べると美味いです。