村上水軍は因島、能島、来島と三家で構成されますがその中でも因島水軍は6代当主村上吉充の時代毛利氏と近しい関係を築き瀬戸内の水軍としてその存在感を拡大させました。 その因島水軍の歴史資料を多く保存展示している因島水軍城を目指して因島を目指します。

今治からしまなみ海道の多くの島を渡ってきましたが、生口島から生口橋を渡って因島に入ります。

しまなみ海道ではそれぞれ個性的な橋梁が目を惹きますが生口橋はトングのような形状です。

因島南ICを降りて水軍城を目指していきます。

因島村上家の資料を集めた因島水軍城の入口にやって来ました。

地元観光資料では「日本唯一の水軍城」と謳われています。楽しみです。

かなり階段を登って行きます。

因島村上氏の幟がはためいています。因島水軍城は水軍城をイメージして造られ本丸・二の丸・隅櫓からなります[3]

史料館入口にやっと辿り着きました。因島村上氏が残した武具、遺品、古文書など歴史資料を展示している資料館です。

因島水軍の武将がお出迎えしてくれました。

村上水軍にて使われた三種類の船について展示されていますが、大きい方から安宅船、関船、小早船となります。急速度で接近してほうろく火矢を投げ込むなどの戦法が恐れられていました。

水軍資料館の内部です。

村上水軍の戦法書が展示されていました。船隊の構えなど海賊たる由縁の書が興味深かったです。

村上海賊とは因島、能島、来島の三家の総称でそれぞれ家紋も微妙に違います。関ケ原後は来島村上家のみが豊後森藩の大名になりました。日本のアンデルセンと呼ばれる久留島武彦はその末裔です。

毛利軍の一翼を担った能島村上水軍ですが秀吉の世になり1588年の海賊禁止令などで勢力を削られていくことになりました。

村上吉充公の肖像画です。因島村上氏第6代当主で第一次木津川口の戦いなどで活躍し村上水軍の名を響かせました。

村上吉充が毛利軍の小早川隆景より拝領したと伝わる貴重な鎧(腹巻)です。

厳島合戦や木津川海戦など毛利軍を加勢して功績をあげてきたことで感謝の意で拝領したものでしょう。

外に掲げられた村上水軍の物語がとても分かり易かったです。

村上御三家について由緒について勉強になります。

村上吉充の顔出しでしょうか。

二之丸展示室では戦法会議の最中です。

こちらは隅櫓です。

隅櫓は二階まで上がることができました。

2階の出窓からの眺めです。

現在も毎年因島水軍まつりとして小早レースなどが行われ若い世代に水軍の歴史が継承されています。

お土産に因島村上水軍の家紋の入ったクリアファイルを購入させていただきました。これはなかなか貴重だと思います。