忠臣蔵のファンとしては赤穂浪士たちが本所吉良邸で吉良上野介の首を取ってからどういう経路で泉岳寺に向かったかが気になるところです。いろいろ諸説がネットにはありますがあまり厳格には考えていませんが雰囲気を体感したく、とりあえず両国橋から永代橋まで歩いてみて実感してみたいと思います。

史実に忠実に両国橋から永代橋を目指したという方も多いとは思いますがこの時期隅田川の景観を楽しみながら散歩したいという欲求の方が強くなりましたので隅田川テラスを利用して隅田川沿いを歩くことにします。

隅田川テラスとは防潮堤を補強するための護岸防潮堤を開放した水辺テラスのことですが、要は隅田川両岸を遊歩道に整備したものと言えば分かり易いですか。東京都を流れる隅田川両岸約47kmのうち現在までに30kmほどが整備されているそうです。

隅田川ウォーキングスタートです。後ろを振り返ると両国橋の下を水上バスが通っていきます。

隅田川テラスは景観を楽しみながら隅田川に沿って歩き続けることができて良いですね。天気が良いと景観が最高ですね、この辺りに住みたくなります。

まず見えてくるのは竪川水門です。

竪川は万治2(1659)年に開かれた運河で中川と隅田川を結ぶ水路で南側を並行して流れる小名木川の補助ルートとして舟運に利用されました。江戸城から見てタテに流れているので竪川と名づけられました。

案内板が色落ちしてますが水門を過ぎて先に進んで行きます。

さて見えて来たのは新大橋です。かつて両国橋が大橋と呼ばれていたためその後に架けられたこの橋を新大橋とよんだそうです。安藤広重の最高傑作「大はしあたけの夕立」は当時のこの橋の情景ですね。

江戸を偲ばせる新大橋の下を最新の水上バスが通っていきます。広重もびっくりです。

新大橋周辺の案内図です。

さらに進むと歩道沿いに俳句碑が並ぶようになりました。この深川地域が松尾芭蕉のゆかりの地とされています。

ここは松尾芭蕉記念館です、屋上から隅田川を眺める芭蕉の姿がありました。

次に見えて来た橋は清州橋です。

この清州橋の手前で小名木川を渡ります。江戸時代に徳川家康が行徳から塩を運ぶために開削したと言われる小名木川です。

小名木川に架かる万年橋ですが、ここでも歌川広重の名所江戸百景の「深川萬年橋」が思い浮かびます。あの亀を吊るした象徴的な錦絵で有名ですね。広重もこの辺りの情景がたいへん気に入っていたのでしょう。名作が多いです。これを真っすぐに行くと清澄公園です。

小名木川入口にも水門があるのが見えます。

万年橋から隅田川をみた風景です。清州橋が見えていますが広重の頃は富士山が見えたらしいです。

清州橋を横切ります。

清州橋を過ぎました。

清州橋はたいへんお洒落な橋です。水上クルーズも爽快でしょうね。

この先隅田川を見下ろすような大型ビルが並びます。ビルからの眺めが良い事でしょう。その先には隅田川大橋です。

続いて隅田川大橋を過ぎました。珍しい二層式の橋で上には自動車用の高速道路、下には歩行者用道路です。

両国橋から歩いてやっと永代橋に着きました。距離にして約2.4㎞でしょう。

すっかり隅田川テラスを楽しんでいましたので忘れそうでしたが本来の目的は赤穂浪士の史跡巡りです。永代橋から少し離れたビルの一階に赤穂浪士の碑を見つけました。

両国からほぼ駆け足で駆けてきたきた赤穂浪士一行はここで休憩を取ることになります。当時永大橋のたもとに大高源五の俳句仲間が経営する味噌店があり、店主は一行を店に招き入れ甘酒をふるまったと伝わります。この後一行は永代橋を渡り泉岳寺を目指していきます。

本懐を遂げた浪士一行ですが隅田川の景観を楽しむ予定は無かったでしょう。当時の浪士隊の心情を偲びながら平和な現在の姿に癒された今回の旅でした。(25)