播州には赤穂城をはじめ山陽道に沿って多くの城が存在しますが築城には様々な幕府の目的があったと言われます。関西を訪れた機会に足を伸ばして実際に登城して歴史を旅したいと思います。帰りは大坂港からサンフラワーの新造船に乗って旅を締めくくります。

まずは日本100名城の明石城を訪れます。JR明石駅からすぐですのでアクセスは良いです。

堀の幅も広く城の規模がかなり大きいものであるのが推測できます。

城の正面である大手口から入城していきます。枡形の構造、石垣の立派さから城の規模、威厳を感じます。櫓に太鼓があったことで太鼓門とも呼ばれるそうです。

大手門の石垣には割り跡の矢穴や刻印も見れてテンションが上がりますね。

都会の駅のすぐ近くにこんな大きな公園(55hr)があることに驚かされます。確かに明石城の広さは姫路城よりも広いと聞いたことがあります。時間があれば池とかも回ってみたいですが今回は城跡に絞ります。

有名な二つの三重櫓が見えてきましたが手前に西芝生広場が広がります。現存する2基の三重櫓「坤櫓(ひつじさるやぐら)」と「巽櫓(たつみやぐら)」が国の重要文化財です。明石城には天守は無かったですが多くの櫓が存在していたのですが明治のはじめに取壊され坤櫓と巽櫓のみが残されました。

明石に城が築かれたのは他の城が廃城となっている時期の1619年とかなり遅めですね。大坂の陣が終わって豊臣家が滅亡した直後ですね。明石城の役割は外様大名が多い西国の抑えとしての監視役を担っていたと言われます。他にも明石が西国街道、明石海峡と水陸交通の要所であったことでより重要な位置づけであったと思われます。

下から見上げると石垣は高く見応えがありました。

坤櫓を回って本丸をめざしますがこの時期雑草が石垣を覆い尽くし大事な石垣が見えません。維持がたいへんでしょうが100名城ですからもう少し綺麗に整備したほうが良いと思います。右に見える天守台はかなり規模が大きく5重の天守が建築可能な大きさなんだそうですが中津城の天守を移築するという計画があったようです。

本丸の入口にはやはり櫓門の跡がありました。門を通ってが本丸へすすみます。

本丸にも休憩所がありましたがここも草で鬱蒼としてますね。

本丸の東北隅には「艮櫓(うしとらやぐら)」があったとのことですが解体されて土台のみが残ります。

坤櫓の前にも櫓門跡らしき石垣が残りますね。

こちらは船上城から移したと言われる坤櫓ですが破風はあるのに窓が無い少し違和感のある印象です。

長塀から坤櫓の方向をみると遥か彼方に明石海峡仁架かる明石大橋が見えています。この城もかつては海に面した海城であったと言われます。陸海の交通の要所であったことがよく分かりますね。

左の広場は宮本武蔵が造ったと言われる庭園とのこと。剣豪の宮本武蔵が城下町の町割りを担当したという事でした。

巽櫓は伏見城から移築されたとも言われています。そのせいか二つの櫓はよく見ると統一性に欠けているところが有りますね。

左手に二の丸、東の丸の石垣が続きます。石垣に関しては見応えがあります。

もっと石垣を近くから見ようとしましたがやはり雑草が多すぎて見ることができませんでした。

明石駅に戻って来ましたがホームからも二つの櫓を見ることができて印象深いですね。よく見ると櫓から東にさらに石垣が連なっているのが確認できますね。実際の城の規模がかなり大きかったのが分かります。

明石から鳥取へ向かうスーパーはくとに出会いました。

そして播州と言えば姫路城ですので姫路駅でちらと降車して天守の姿を見てみたいと思います。千姫の幟が立っていました。

姫路駅のホームの駅そばはデザインが目を惹きます。

ちょうど大阪~鳥取間を結ぶ特急はまかぜが停まっていました。

なかなか見れない珍しい列車ですの目の前で写真撮りました。

遠くからでも姫路城の姿を見たいので姫路駅から外に出てみましたが広々とした駅前広場、東京駅前の丸の内のような開放的な空間です。

その先には姫路城の天守がそびえ立ってるのが見えました。暑い中多くの外国人観光客が歩いて姫路城へ向かっています。

距離があるのにその存在感たるやすごいですね。さすが国宝の存在感です。今回は残念なながら登城しませんが天守を見れて良かったです。

JR姫路駅の外観ですが高いビルは無くスッキリしています。

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