関ヶ原の合戦を終えた徳川家康は近づく秀頼との合戦に備えて山陽山陰に通じる交通の要所・篠山に新たに築城を行います。それが篠山城ですが天下普請により多くの大名が築城を手伝いますが、縄張りはあの藤堂高虎によるものとのことで高石垣などその特長をこの目で見たいと登城に向かいます。

尼崎からから丹波方面へJR宝塚線で篠山口駅を目指します。いつも思いますが関西のJRのホーム掲示板は本当に分かり難いですね。慣れている人はすぐに理解できるのでしょうがよくよく見ないとどれに乗って良いのか分からないのです。

さて快速で宝塚から丹波に近づくと風景は小山に囲まれた田園風景が続きます。非常に爽快な気持ちになりますね。

尼崎から快速電車で約1時間で目的の篠山口駅に着きました。

駅の観光案内を利用して情報収集して駅から篠山城までは約6キロあるのでバスの乗り換えていくのが良いとのこと。

城下町でバスを降りることができました。商店街には食事所やお土産(栗や黒豆など)の店が並んでいました。暑いのでまず私は冷し蕎麦を頂きました。

篠山城はに向かいます。ほとんど正方形の形をしており東側と南側に馬出が見て取れます。実際にこの目で確かめたいですので北側から城に向かうことになります。

さて日本100名城の篠山城です。北の大手門から登城します。

掘を眺めつつ城へ入りますが本丸は二重の堀で囲まれておりこの堀は外堀に当たります。

1609年に徳川家康が大阪城の秀頼に備えて天下普請の築城を行った篠山城です。天下普請は旧豊臣大名の経済力を弱めること狙いとされ15カ国20の諸大名が動員されたとのこと。縄張りは藤堂高虎、普請は池田輝政が指揮を執ったとのことで家康の本気度が伺えます。

堀の手前のかつて城の北側に存在していた馬出跡を見落とすところでした。

内側の内堀を確認することができました。内堀と石垣の間には武者走りのような領域が確認できます。

大手門跡から登城します。遥か向こうに見える屋根は復元された大書院です。

石垣は野面積みで隅を算木積みで固めています。

わずか一年間の突貫工事で積まれた石垣ということで荒々しい積み方の印象を持ちました。

石垣に刻印があって探して歩くのも面白いです。天下普請で多くの藩が石垣積みに参加していた名残ですね。

大書院への入口の門が見えてきました。

正面に大書院入口が見えてきました。軒唐破風を構えた重厚な造りです。

大書院は昭和19年まで現存していたのに焼失したということで本当に惜しかったですね。ただ復元された大書院も忠実に復元されたものということで期待が高まります。

篠山城の模型がありましたが正方形の形と3カ所の馬出と二重の堀が特長です。

広間では藩の様々な公式行事が執り行われたことでしょう。

最も格式の高い孔雀の間です。

大書院には8つの部屋が存在し周りを広縁が囲みます。京都の二条城にも匹敵する規模の大書院がこの篠山城にあったことが驚きでもあります。

かなり広目の縁が周りを囲みます。

改めて説明しておきますと、大書院は1609年の篠山城築城とほぼ同時に建てられ260年間藩の公式行事などに使われてきた施設です。長く存在していましたが1944年に火災で焼失してしまい2000年に復元再建されました。築城当時から周りの景観もこのような状態で本丸に存在していたのでしょう。

 

その②へ