山鹿温泉は熊本県の北部に位置しが菊池と並び良質の温泉地として有名です。市内中心部をかつて参勤交代道として使われた豊後街道が南北に貫きますがその宿場町の古い町並み名残が今も残ります。また歴史好きとして興味深い赤穂浪士関連のお寺があるなど一度訪れたい場所でした。夏休みに機会を見つけて訪問することができました。(2024/07)

 

山鹿温泉に向かうため国道57号線を西に向かいます。途中の休憩スポットは阿蘇駅ですが道の駅阿蘇も隣接しており観光バスやらが多い人気スポットです。

暑い中、熊本の宣伝部長のくまモンが並んでいました。

案内にあるように熊本空港の最寄りの駅が肥後大津になります。ここから57号線に別れを告げて325号線を北上します。

途中菊池を通りますが目を惹くのは道の駅七城・メロンドームです。七城町はフルーツ王国です。この時期はスイカでしょうかね。

初めて山鹿温泉にやってきましたが芝居の幟がたくさん立っているのが見えてきました。八千代座の芝居が行われているようですので後で訪問することにします。

肥後熊本城を起点として豊前小倉に至る街道が「豊前街道」と呼ばれます。江戸時代には参勤交代で使われた街道ですがここ山鹿藩主の休憩・宿泊所「お茶屋」があった場所になります。

山鹿温泉に来たら訪れたかったさくら湯に着きました。ひときわ立派な唐破風の構えですぐに目に付きます。熊本城主の肥後細川藩初代藩主・細川忠利公の時代に造ったお茶屋が発祥と言われるさくら湯です。

加藤家が二代で改易されてその後に肥後に入った細川忠利公がこの温泉をたいへんに気に入ってお茶屋を拵えたたという事ですね。江戸時代には宿場町として大いに賑わったようです。

横の温泉資料館では山鹿温泉の歴史を学ぶことができます。驚いたのはあの天璋院篤姫が薩摩から江戸へ輿入れする際にこの豊前街道を通りここさくら湯「山鹿お茶屋」に宿泊した記録が残っていたそうです。宮尾登美子さんの原作では海路瀬戸内を船で通って江戸に向かったとされていましたが近年確固たる資料が見つかったことから陸路であったことが分ったとのことです。篤姫が温泉に入ったかどうかは不明ですがこの辺りを駕籠に揺られて通っていたことは感慨深いです。(1853年8付29日宿泊)

雰囲気のある唐破風の南玄関から施設に入ります。入浴料はなんと350円でした。

実際に入らせていただきましたが天井が高く趣のある浴槽とお湯に浸かった瞬間に感じるとろりと肌になじむ泉質の感じが何とも心地よいお湯でした。

飲用も可能な温泉がこんこんと湧き出しています。

さくら湯のすぐ横には薬師堂が建てられています。

解説を読むと何とも歴史のある山鹿温泉ならではの伝説が書かれていました。昔から温泉が地元で守られてきたのが良く分かります。

街道のすぐ横では足湯を楽しむこともできます。

この辺りは豊前街道の当時の宿場町の名残が残っており湯上りの散策のも楽しいです。

若い人が散策している姿も散見できました。私も散策して途中カフェで一休みしました。

伝統工芸の「山鹿灯籠」の展示・保存を行う民芸館です。お洒落な外観ですが大正14年に銀行として建てられたもので山鹿の洋館1号であったとのことで現在は国の登録有形文化財となっています。

この地域が当時たいへん経済的に豊かであった象徴の建造物でもありますね。多くの人で賑わっていたのでしょう。

路地を曲がったところにあるのが八千代座です。明治43年に地元の旦那衆によって建てられた芝居小屋で国の重要文化財に指定されています。ここ山鹿の中心街ではさくら湯、灯籠民芸館、八千代座が三大スポットとなるのでしょう。

ぜひ内部の見学をさせて欲しかったのですがこの日芝居興行が行われており見学は不可とのことで残念でした。

そしてもう一つ山鹿温泉に来た目的を果たすため3号線を北上して中心街から車で約10分ですが日輪寺へ向かいます。山門が見えてきました。

この山門の上部に梵鐘が吊られておりこれは1358年に銅銭百貫文で作られたものだとのこと。歴史を感じます。

まずは本堂に御参りさせていただきました。

お寺の境内の案内がありましたがおびんずる様が有名です。

私が最も興味ある赤穂浪士の仇討の挿絵が目を惹きました。知らない人はなぜこのお寺が赤穂浪士と関りがあるのか分からないでしょう。でも過去の歴史の繋がりを知ると納得できると思います。

赤穂十七義士の遺髪塔がこの日輪寺に存在しています。

仇討ちを行った赤穂四十七士として有名ですがそのうち17人は細川藩江戸屋敷に預けられ堀内伝右衛門という藩士が接待を行います。伝右衛門は17人の切腹後にその遺髪を持ち帰り菩提寺のここ日輪寺に供養塔を建てて供養を行ったわけです。

あの忠臣蔵として名高い義士の遺髪が実際にここで供養されていることに感動しますね。私も鄭重に頭を下げて御参りさせていただきました。毎年2月4日に供養祭も行われてるという事です。

藩主細川綱利公も17人を武士の鑑と讃えたことで切腹後にもその遺髪が大事に供養されています。17人の名前も武士の誇りとして語り継がれています。

旧豊後街道でかつて栄えた山鹿温泉の街の雰囲気を充分に楽しむことができました。良い温泉に浸かることができ念願の赤穂十七義士の遺髪にもお参りできて良かったです。(30)